こんばんは。
引っ越しが完了いたしました。
フラフラになりながら、時間に追われてクーラーのない中の荷造りに追われて。
ここで住んだ時間に、気が済むまで向き合うことは出来ませんでした。
引っ越しの前日にお坊さんが仏壇を拝んでくれたので、それで区切りが作れました。
「さあ、引っ越しするからちゃんと一緒に来てや。一緒に選んだ家やのにごめんな。ここでの生活は生涯忘れへんよ」っと妻に対して言えたと思っています。
引っ越し先では自分の親含めて、
妻の従姉妹達、姉のお手伝いがあったので普通に生活が出来るまで整理をほとんどしてくださりました。
子供の頃から妻と一緒に遊んだりして、一緒に成長して来た人達です。
私なんかより、よっぽど妻と接して来た時間は長い人達です。
私の妻への気持ちも知ってくれています。
だから、安心して心許して甘えてしまいます。
また助けてもらいました。
猫を迎え入れる準備まで用意してくれました。
感謝してもし足りません。
引っ越し先でもお坊さんに仏壇を拝んで貰いました。
読経の間
「引っ越したで。これからはここで生活して行くで。皆も来てくれてるで。一人じゃなくて安心したやろ?心配せんでゆっくりここで休んでね」っと心の中で話しかけていました。
遺影の妻はいつも最高の笑顔です。
自分一人では1年はかかるのではなかろうかと思う荷物開けと、生活空間の整理までメインでやってくれたので、
これから私は時間をかけて妻のモノと一つ一つゆっくり向き合う時間を作る事が出来ます。
心から感謝です。
ありがとう。
思った以上に住みやすそうな住居なので、
「一緒に住みたかった」っていう気持ちが大きくなります…。
一部屋は仏間にしたいので、
妻が生活していた頃とはまた別の形で、妻の生きた証・軌跡を遺す空間にしたいな、と思っています。
【いつまでも思い続けてると成仏出来ない】
【どこかで故人への気持ちを吹っ切れないと浮かばれない】
そんな意見があることも知っています。
だけど、誰にも正確な答えはないはずです。
私の私なりの妻への供養です。
来訪してくれた人達が、
妻の生きた証と軌跡がわかるように。
それが、とりあえずはこれからの原動力になり得ると思っています。
あと、猫と。
長々とありがとうございました。