こんばんは。
妻が亡くなってから、言葉に対して敏感になりました。
特に「死を連想させるキーワード」に対して。
若い人は、何気なく口にしてしまうことが多いと思います。
(偏見みたいでごめんなさい)
「〇すぞ!」
「〇んだらいいねん」
「いっぺん〇んだら?」
「〇にそうになったよー」
などの言葉です。
本人たちには別に何の悪気もないと思います。
特に若い人たちは、自分自身に「死」という物がやってくると
イメージすることがないからだと思っています。
だけど、自分と同世代でも
病気と必死に闘ってる人もいるんですよ。
難病と向き合って、絶対治すって闘っている人もいるんですよ。
私も知り合いの何気ない一言に傷付いたことがあります。
「精神病院で、注射してもらった方がいいでー?」
というような一言でした。
私の妻は、双極性障害で精神科を受診していました。
月1回、一緒に片道2時間かけて通院していました。
そのことを知らなかったからこそ、軽く言える言葉だったでしょうが
ショックを受けました。
聞いてないフリをしてしまいましたが、
しっかり耳に残りました。
だけど、そんなモノなんですよね。
自分に関係ないと、何も感じず聞き流すと思います。
精神科に通ってたら、そういう風に見られるの?
誰しも好きで通ってるわけじゃないよ?
病気になりたいと思っている人なんていないよ?
そんな思いが溢れかえりました。
妻のことがとても愛おしくなりました。
そして、聞き流した自分に腹がたちました。
何気なく、悪気なく、言ってしまうことは
人間なんだから誰しもあります。
もちろん私も同じです。
だから、
それで相手を傷付けたり、
怒らせたりした時に気が付いてくれればいいんです。
失敗することで、人は学びます。
気が付いたらそれでいいと思います。
何気ない一言で
傷付く人もいる。
怒る人もいる。
そして、救われる人もいる。
それに気が付くだけで
前進していますよね。
私は聞き流してしまいましたが、
しっかりと怒ってくれたりした方が良いです。
怒ってくれる人がいるから、学ぶことが出来るので。
私には、妻の事を幸せにしてあげられなかったのかという
自責の念がずっとあります。
多分、一生消えないと思います。
幸せな時間も共有していました。
だけど、自分のことを責めるしかないんです。
誰一人、私のことを責める人はいません。
だから、自分で責めるしかないのかも知れませんね。
今日はこの辺りで。
いつまでも
自分を責めてしまうけど
それは君の望んでることじゃないよね
君は悲しむかも知れないけど
もうしばらく
このままでいさせてください