死んだら楽になるなぁと思う。
頑張っても頑張っても
私の毎日は落ち着かないです。
働けど働けど
なお我が暮らし楽にならざり
じっと手を見る…
私のように
元々普通の人よりマイナスからスタート
している人間は
人の10倍努力して
やっと一人前になれるはずですが
人並みにしか努力なんてしてないので
止まることなく
台風が押し寄せてきますぜ

ふーやっと落ち着いた。
と思った途端に
第2波が

それを
第3波

第4波

と重ねているような人生。
小さい時は家の中こそが
が私の知る限り一番危険な場所だった。
普通の家ではなかった。
それでも親の言う通りに勉強して、
親の言う通りの学校に入った。
大学生のときうつ病になった。
(診断は受けていない)
就職してうつになった。
転職してうつになった。
さらに転職が決まった後に
転職回数が多すぎると言われて
内定を取り消された。
でもなんとか転職して
またうつになった。
そして発達障害が判明した。
良くなった。
でも夫に犬のように捨てられた。
うつっていうのは、
死にたいって思うことだ。
こんなにも死にたい気持ちと長い間
格闘してきた。
「みんな大変なんだよ。」
と、私の母はよく私に電話で言う。
あんただけじゃないよ、と。
さっきも言っていた。
(私は母にあんたと呼ばれるのが好きじゃない)
たしかにすごく大変な人はいる。
だけど、そのうちの1人は私だと思う。
「お母さんも大変だったよ」
と母は言う。
母もたしかに大変だっただろう。
だけど本当に何にもできないので
ただ子供に泣きながら愚痴と暴言を吐くだけだった。
母はなんとか私を助けようとはしてくれる。
だけど助ける能力がない。
残念ながら
本当に頼りにならない。
そばにいてほしいが
実際そばにいるとマイナスなことが多い。
友達は
「話ならいつでも聞くよ」
という。
「話を聞くくらいしかできないけど」
という。
私はそんなの求めてません。
私が本当に困った誰かを助ける時は
時には新幹線に乗って隣に行って
一緒になるべく長い時間を過ごす。
出来るだけ泊まるか泊まりにきてもらう。
相手が助けを望むなら
話を聞くくらいしか、なんてことはしない。
だから私は自分を助ける方法を身につけた。
自分を分割して2人に分ける。
そして自分がもう1人の自分に話しかける。
今ちょっと目の前に無いことを
考えすぎちゃっているよ。
自分のことを責めすぎているよ。
頭の中だけでしか起こっていないことで
苦しむ必要なんかないよ。
自分のためにご飯を食べようよ。
宇宙規模で考えたら
こんなこと砂つぶより小さいよ!
そういう術をいつのまにか身につけたようで
なんとか社会参加がまだギリギリできている。
でも時々ふと
自分の本当の気持ちに蓋をしているだけのような気がして、解離してしまわないかと怖くなる。
実際最近私は
弱くて傷ついた頑張らない自分
励ましたり、慰めたりする自分
他人向けに明るく振る舞う自分
この三つを使い分けていることを自覚していて
いつかそれらが本当に分かれてしまわないかと心配になる。
多分普通の人が気分転換にナチュラルに流れで移行するところを、
私はスイッチを切り替えてポンと別の場所に飛ぶように切り替えている感じがする。
あの子を私のような目に合わせてはいけないと思うと、死んではいけないと思う。
辛いのは私までで終わりにしようと思う。
自分は食べなくても
犬にはご飯をあげて、声をかけて、散歩に行く。
だから私は辛さを私に分け与えた両親を
どうしても時々恨んでしまう。
たしかに育ててくれた、
お金をかけてくれた、
だけど…って思う。
私は夫のことが
まるで飼い主を信じる犬のように好きです。
何度も何度も捨てられて
傷つけられても
犬のようについてきました。
夫に「こんな男のどこがいいんだ?お前は珍しい」と頻繁に言われていた。
初めて見る者を親と思う鳥と同じ感じで
そこには理由がほとんどない。
だから困っている。
そろそろ自分がダメンズウォーカーであることを
分析して自覚しなければと思う。


