アーニー・バンクス。Mr. Cub (ミスター・カブ)。
背番号 『14』は、シカゴ・カブスの永久欠番。
テキサス州ダラス生まれ。17歳の時にセミプロ球団アマリロ・コルツと1試合15ドルで契約 。1950年にニグロ・リーグのカンザスシティ・モナークスと月給300ドルで契約 。兵役から復帰した1953年にバンクスは打率3割8分6厘、20本塁打を記録。1953年9月8日、シカゴ・カブスと契約金2,000ドルで契約。
9月17日にカブス球団史上初めての黒人選手としてメジャーデビュー、1956年に手の骨折で欠場するまで424試合連続試合出場を達成。
1954年に遊撃手に定着し、全154試合に出場。打率2割7分5厘、19本塁打、79打点を記録。
1955年にバットを軽量バットに変え、44本塁打を記録。1958年にはリーグ最多の129打点・47本塁打を記録し、前年の遊撃手としてのシーズン最多本塁打記録を更新。同年、MVPを受賞。
1959年もチームは74勝80敗で負け越したが、バンクスはリーグ初の2年連続でMVPを受賞。
本塁打王をエディ・マシューズ
に譲ったものの、2年連続で打点王
。
1955年から1960年にかけてメジャー最多の248本塁打 。守備では1958年にリーグ最多の32失策を記録したものの、1959年に失策数は11まで減らし、1960年にはゴールドグラブ賞を受賞。その後は膝の故障に悩まされ、1961年6月23日には連続試合出場が717で途切れます 。
1965年9月2日に通算400本塁打を達成し、5年後の1970年 5月12日にリグレー・フィールドで史上9人目の500本塁打を達成 。1971年9月26日に現役を引退。
バンクスがカブスに在籍中一度もワールドシリーズへ進出できず、弱いチームにありながらも、明るい性格から「ミスター・カブ」、「ミスター・サンシャイン」と呼ばれ、「レッツ・プレー・ツー」と選手を鼓舞 。バンクスは現在でも出場試合数2528、打数9421、塁打4706などのカブスにおける球団記録を保持。マイケル・ジョーダンが登場するまでは「シカゴ史上最高のプロスポーツ選手」でした。
引退後カブスのコーチを務め、アメリカ野球殿堂入り資格1年目の1977年に得票率83.81%で選出
。1999年メジャーリーグベースボール・オールセンチュリー・チームでは遊撃手として選出
。
近年の「打てる遊撃手のさきがけ」と言えばカル・リプケン ですが、元祖はアーニー・バンクスでしょう。リプケンがバンクスの持つ遊撃手の通算本塁打記録を破ったとき、バンクスはリプケンを祝福しました。また、自分の殿堂入りの際にはスピーチの最後を「レッツ・プレー・ツー」で締めるなど、その人気は衰えることがありませんでした。
未だ果たされていないカブスのワールドシリーズ制覇。いつになったら・・・。
<最終更新日 2012年11月10日>
