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2008年01月25日 04時16分15秒

突発性難聴を(前に)やりました~後編

テーマ:からだのこと

きのうのつづき。


入院だなんてちょっと大げさではないのか?という気もしたが、何しろ相変わらず僕の左耳はがーがーいい続けてるし、一生このままだなんて絶対に困ると思い切って入院した。病院でやるのはホントたいしたことではない。腕に点滴のハリを差し込んで、液体を身体に流すというただそれだけ。聴力検査をやったところ、右耳の「まぁだいたい5分の1ですね(医師の診断)」になっていた左耳がほんとによくなるのか?とっても不安な夜を何度か過ごした。この突発性難聴は早期治療が何より肝心だそうで、症状が固まるともうどうにもならないのだそうだ。服薬で改善が見られず、僕は発症からだいたい8日目にこの点滴治療を始めたわけだが、「1週間が勝負です(医師談)」ということから僕の気持ちは「頼む!お願いだ!間に合ってくれ!」の一心だった。入院して丸3日間は特に何も変わった事はなく、「もうダメだったのかしら?・・・がっくし」の失意の状態。片耳片耳片耳片耳と僕の中ではこの二文字がずっとこだましており、左耳には耳鳴りががーがー鳴り続け、「それがどうした?オトタケ君を見ろ!立派に生きてる!」などと自分を励ましつつ「ちょっと待て!まだ治らないと決まったわけでもなかろう?」と自らをなぐさめ、とにもかくにも不安と葛藤する日々。


4日目の朝だった。妙に目覚めがいいような気分を覚えて・・・はて?あ・・・?左が少し静かではないか?ちょっとあれが和らいでないか?と感じた。騒音のデシベル数値が下がってると感じた。5日目にはもう一段低い雑音に変わり、心なしか風通しの良さも自覚した。同時に聴力もそれに比例して上がって行って、僕の心は次第に晴れていった。実際、5日目の夕方に行なった聴力検査では「聞こえがやや弱い」的な正常範囲まで回復した。若干の「つまり感」が残ってはいたものの、4日目以降の回復ぶりからして「もう大丈夫でしょう」と医師にも言われ、僕は7日目の朝に退院手続きを取ることになったのだった。よかったよかった。


医師の診断では、毛細血管が詰まって起こった事だろうと言われた。点滴で血流改善を図った事で、聴力に関わる部分が回復して治ったのだと。ただ、おそらくは詰まったままの部分は少し残っている可能性はあるという。おそろしくたくさんの、細い血管が密集した部分だからして、もうダメなところは放っておいて、他の部分でつながったからもう大丈夫だそうだ。で、過去の症例からして一度そうやって回復したケースでは再び聞こえなくなるという報告は聞いたことがないそうで、「もう大丈夫でしょう」と言われた。やった。体の状態によっては、今後時々「耳詰まりを覚えるとか」「きんきんするとか」の多少の違和感を覚える時があるかもしれないが、あまり神経質にならないことだと。むしろ血液さらさらになる努力をしなさいと指導された。よかった。


浜崎あゆみは多忙な人だから、僕が行なったような治療を施す事がなかなかできず後回しになって、間に合わなかったんだろうなと思う。

病院にかかる前、発表会の打ち上げでカラオケに行った。右の耳だけを頼りに歌ったが、非常にバランスが悪かった。声が自分の頭に反響するのが、やはり片側だけではアンバランス。ちゃんと歌えているのか不安で仕方がなかった。右の耳では大丈夫でも、左の雑音が消えないから「聞こえているその状況」を自分自身で信用できない感覚だった。


実際に体調を壊してはじめて自覚するものだが、やはり健康が一番だ。取り返しのつかないことになる前に、自分できちんと体調管理はしたほうがよいのだ。

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2008年01月24日 02時36分43秒

突発性難聴を(前に)やりました

テーマ:からだのこと

過去記事に書いたような気もして探してみたが、そのものについてはどうやら書いてなかった。原因がよくわからない耳の「うずき」に悩まされた時 の事は書いていたようだ。

今回は、実際に左耳の聴力がはっきりと落ちて入院した話を書く。浜崎あゆみがそのような状況になってしまってとうとう左が聞こえなくなったそうで、だがニュースを賑わしている時はなんだか乗っかるみたいな気もしたので控えていた。


それは店に入る以前の話で、6年ほど前のこと。

当時、僕はパソコンの講師やら設定やらメンテナンスやらの仕事をしており、その日によってあっちにいったりこっちにいったりの不規則仕事だった。勉強することも日々かなりあるし、人と関わりつつ教えつつ、ストレスもまぁそれなりにあったと思う。そういう時に、母の知り合いからある仕事を依頼された。大正琴の教室をなさっている先生が、教室の生徒さんを集めた発表会をするから、それを手伝って欲しいという。結婚式披露宴なんかもやってる大きなホテルのホールを使って総勢500人くらいの人が集まる記念式典を兼ねた発表会なのだ。かっこよく言えばプロデュースになるが、要するに段取りその他の取りまとめが必要だった。発表会のプログラムの作成と、当日までの様々な段取りや裏方の手配に、当日の進行役。そんなに難しい仕事ではないが、機材関係の調整や他のスタッフとの打ち合わせもあって何しろ時間に追われた。自分の仕事もきっちりやりながらのことだったせいもある。


そんな時、「やること結構あるなぁ」とやや頭を抱えていたその真っ只中に異変が起きた。自分では頭が少し混乱しているかもなどと感じていたが、ずっと左側に頭痛を抱えている事を意識していた。で、そんな折、電話をしている時に気づいたわけだ。

電話が遠いなと感じて、ふと右にそれを持ち替えた。ちっとも遠くなんてなかった。左が聞こえてなかった事にはじめて気づいた。聞こえないというより、雑音に邪魔されていて、それはずっと左側から離れない耳鳴りのせいだった。耳鳴りにかき消されてとっても聞こえにくい状況。それをはっきりと意識してからが大変だ。もう感覚が傾く傾く。常に左耳から耳鳴りが離れない。てんで聞こえない。焦った。なんだこりゃ。

だが、気づいたその日は発表会本番の前日だった。病院に行く余裕はなかった。仕方がないので当日は不安と居心地の悪さをこらえながらどうにか仕事をこなし、後始末なんかも片付けてから日を改めて病院に行った。


いつもと違う場所に頭痛が襲っているのかな?程度の認識だったんだが、それはちょっと甘かった事を病院で知る。

診断は突発性難聴。原因はよくわからないときたもんだ。毛細血管がつまって起こるケースだろうと言われ、クスリを出しておきましょうと医師は言った。

処置は発症からだいたい1週間くらいが目途で、10日過ぎると症状が固まってしまって改善の見込みが極めて薄くなりますと言われたが、まぁクスリで収まるだろうと割合呑気に構えていた。

が、クスリを飲み始めて丸3日が経過し、ちっとも収まる気配がないことに僕は苛立ち、医師に見通しを聞いた。クスリを飲み始めたのは発症から3日目で、トータルで6日目になる。このままクスリだけで治るのか?治る気がしない。

すると、「ひょっとすると一生治らないかもしれない・・・可能性もあります」と言う。

ちょっとちょっと、それはとっても困るんですけど。が、医師は(突発性難聴の)原因がはっきりわかっていないし、微細な毛細血管を何らかの術式でどうにかできるものではないし、という現状をやたらと冷静にご説明下さる。まるで「この先ずっと左が聞こえない状況の受け入れ」を説得されているようで僕は我慢がならなかった。

そんな事簡単に受け入れられるわけがない。どうにか手はないんですか?!

そうしている間も、僕の身体はどうにも片方の感覚がやはりおかしくて、治らないかもしれない不安のせいもあるし、精神衛生上いらいらしてもうとても冷静ではいられないのだ。すると、点滴治療を試す価値はありますという。ただし、それは「入院が必要」という説明だった。


今日はここまで。次回にゆずります。


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2008年01月23日 05時05分40秒

家族百景~父親の威厳とたくまし女子

テーマ:本日の・・・?

子供二人を含む5人の親子が来店。大人は父と母と、そのどちらかの母と思われる、子供たちからすると祖母にあたる方。子供は中学校のなかば(2年?)あたりと小学校高学年のどちらも女の子。

カルビセットをご注文。父親は生ビールで、それ以外はお冷やとお茶。あとはご飯がふたつと、ピビンパがふたつ。家族連れの、いわば典型的なご注文パターン。当然肉の追加がちょこちょこ来て、思い出したようにキムチなんかも出る。何回目かの追加で「とんそく焼き」を僕がテーブルに運び、それは焼き網の上に置かなきゃだから「スペースを空けて頂けますか?」とやってた。

そこで父親が「上カルビをひとつ」と追加。

するとすかさず中学校なかばの娘が「カルビだよ!ただのカルビ!」と訂正する。長女は僕にではなく、父親に訂正を促したから、父親の顔を見るも、彼はすぐには訂正せず、やや間が出来た。

「・・・父親の威厳であくまでも高い方(900円と1300円の違いがある)を選択するのか?」と僕は考える。

すると、長女は再び「カ・ル・ビ!」とまさに父親に噛み付きそうな勢いで、しかし声を押し殺しながら訴える。

で・・・結果はというと。

「あ・・・カルビ。カルビのほう」とそれに従う父。

「上でなくて、普通のほうですね?」とやんわり確認。


別にいいんだけど、「娘に怒られてやんの」とおかしくなった。

ただ、父親がすぐには訂正しなかったあたりが威厳を保ちたかったのか、なんなのか?と感じた。


会計の時に僕は合点がいった。

お金を払ったのはおばあちゃんだったのだ。

息子にしてみれば、「おかあさんが(会計を)持つんだから上カルビの1人前くらいはいいだろう」と思ったに違いない。「こういうときに食っとかなきゃ」だ。

が、娘の方はがっちりしている。会計を親が持とうが祖母が持とうが、家族の財布から出るのは大局的には同じこと。外食で焼肉を選択した時点で充分な贅沢。「一定のラインで締めないと」という意識がきっと働いたのだと思う。

思えば、そばにいる時に僕の耳元に囁くような注文の仕方だったし、「どさくさに紛れていいのを取っちゃえ!」ってやつだったかもしれない。それを娘は聞き逃さなかったのだ。そうして「ただのカルビ」に訂正したのだった。

家族の中で男は父親一人。こういう家ではたいがい女性の意見がまかり通るんだろうなぁ。

がんばれおとうさん!


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2008年01月22日 14時03分33秒

ディアマンテよ、さようなら

テーマ:本日の・・・?

普段の僕のアシは三菱のディアマンテ。

別に峠を攻めることはないから特別にかっとぶ車は必要ない。けど、僕だっていちおう彼女は欲しいし結婚したいから、ひょっとして「女の子を乗せてドライブ」なんてこともありやなしやと考える。そういう時に「もしかしてこれ(こんなポンコツ)で行くの?」などとがっかりさせたくはないものだ。だから最低でも「え~?」とは言われない程度の車には乗っときたい。5ナンバーの普通車で充分だが、こちとら新車を買う余裕はないから必要に迫られた時に『出ている』中古から選ぶほかなく、その状態とその価格と、スタイリングの好みと、色んなもののトータルバランスでチョイスする。その結果として今のディアマンテに乗っている。いちおう3ナンバーの車。ちなみに、前に乗っていたのは順に日産のローレルとホンダのインテグラ(ATでなく、ギア付き)でいずれも5ナンバー車。確か4年づつ乗った。今月、ディアマンテが車検を迎える。1年弱の車検が付いているものを購入して、一度車検して、だから3年ほど乗ってきた。さて何に乗り換えるのか。


お店をやってると、何やかやとモノを運ぶ必要にも迫られるわけだが、乗用車ではその用を満足に足す事ができない。母が乗っている軽はうしろに多少の積み込みが可能で、そのため、これまでは母の車にたいがい積み込ませてきた。車がそうだから、という理由で「母に押し付けていた」とも言える。その事に関しては、僕は今まで少なからず負い目を感じていたわけで、もうそろそろ母の仕事の負担をしっかり軽減してあげる必要も感じていたものだ。で、乗用車をずっと所有してきたものの女性とドライブする機会はまぁほとんどないありさまで、正直言って経費もそれなりにかかるし、やや後ろ髪を引かれもするが、僕のアシを「働ける車」に変えることにした。ちょうど軽の箱バンがあったから、もう思い切ってそれにした。車検費用だけしかかからないこれも値段ナシの車。


お店に「ディアマンテを下取りに」と相談したら、「下取りに出すのはいいけど値はつかないよ」と『宣告』された。値段ナシの宣告。はぁ。近頃は景気低迷のあおりをうけて大型の車がちいとも売れないそうだ。その為、特に問題のない車でも、それがひとたび大型の3ナンバー車ともなるとトンと売れないらしい。年式もそこそこイッテルしで、よって値段はつかないよ、と。これがバブルの頃なら15万くらいには(ちと甘いかな?)なったろうに。車検費用さえかければちゃんと乗れるのに、とっても惜しい気がする。だが、「働ける車」に乗り換えると決めたからにはもう仕方がない。僕は意をけっしてディアマンテにさよならする。


新年早々に「今年はがんばります!」みたいな事を書いたが、まぁその気持ちの流れでもあり、「贅沢は敵」と決断した。何しろお店をきちんと立て直さない事には先行きも開けない。日々の経費を抑えるためにも、なにかと「働ける車」で色々と働く為にも、気分のいい車に乗っかってのほほんとしてはいられない。

毎日の殆んどは、お店とコンビニと家の往復で特別な贅沢とか散財とかしないんだが、生きていくのは大変だ。

乗り味サイコーだったよ!

さよなら、ディアマンテ!

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2008年01月21日 14時20分26秒

センター試験、「尾崎豊」に違和感

テーマ:本日の・・・?

19日に行なわれた大学入試センター試験。公民の現代社会で、平成4年に26歳で夭折した伝説のミュージシャン尾崎豊を取り上げて「対抗文化」についての出題があったそうだ。

「現代の青年は、激しい反抗や意思表示は必ずしも見られない」などの内容の文章を読むもので、ジェームズ・ディーンが主演する米国映画『理由なき反抗』なども引用され、「青年期」に関して適当な記述を選ばせる問題を出題。本文では尾崎豊について「彼の歌は、対抗文化の持つ意義について今でも考えさせるところがある」と持ち上げ、対抗文化の意味を出題。「既存の秩序・体制を批判し、社会変革の原動力になり得るものである」とする選択肢を正解(配点3)とした。さらに、本文を「葛藤(かっとう)から逃避することなく自己としっかり向き合ってみることが青年期の意義の一つである」との一文で締めくくり、青年に内なる葛藤を勧めた。


僕はかなり違和感を覚えた。センター試験の問題であることから、その時代を反映した内容のものを題材に持ち出したと見るが、それがなぜ尾崎なのか?ここ数年を見ても、尾崎のように社会に抗するものが世間を賑わせただろうか?そんなことはないだろう。むしろ、「○○王子」と名付けられるイケメンかつスーパーな若者が注目されている。だからこそ尾崎なのか?また、尾崎は必ずしも「社会に強い敵愾心を燃やして抗っていた」わけではないと僕は思っている。この「対抗文化」という言葉自体、意味がよくわからない。


尾崎が活躍した時代は、確か日本が空前の好景気(バブル)に向かう只中だったはず。どんどん豊かになっていく社会にあって、「これでいいのか?」と常に問い掛けていた存在。それは社会を必ずしも批判するものではなくて、横並びや大衆迎合を嫌ったのではないだろうか?レールに乗っかる事に疑問を持ち、自分の足で歩くにはどうしたらいいかを問うた。そうしたモチベーションを支えたものは、与えられた何かに従う事を拒み、己の個性をみずから発揮して自分が自分で光り輝く為には何が必要なのかを追い求めた姿勢だと思う。それは突き詰めれば自分が一番という自己愛の精神にほかならない。決して単純な「対抗文化」ではない。内なる葛藤を尾崎を手本として勧めることは間違いではなかろうが、それと社会に抗う事とは違うと思うのだ。


バブルがはじけて以降というもの、ハッキリ言えば、「内なる葛藤」は急速にその意義を失っていないだろうか?地下鉄でテロが起き、都市を完膚なきまでに叩き潰す大震災に襲われる。子供が子供を殺し、親子や兄弟で殺し合い、「死刑になりたい」と言いながら小学校を襲撃する者たち。成功者や大人の手本であるはずの弁護士、医者、警察官、行政の長が競い合うように犯罪に走る世の中。銀行はつぶれ、またはつぶれないようにと合併で凌ぎ、上場企業は業績低迷で倒産するか或いは不正や偽装でごまかして生き延びようとする。毎日毎日懸命に働いても住む家さえ確保できない人がたくさんいるではないか。総理大臣が職務を放り投げる末期的な状況で、そんな社会に声高らかに反抗する意味は今や薄い。それは徒労というものだ。そんな事より、何年に一人というスーパーな若者を皆で応援して、自分の叶えられなかった夢を「王子」に託し、その活躍を自分の活力に変えて日々を送る程度が、そのくらいが丁度いい。


尾崎の本質であるところの、「自己愛」を追い求めるのもそれはそれで危険が伴う。「個性を尊重して欲しい」と訴える程度なら可愛いが、尾崎を手本にするのは果たして?彼の数々の作品を手掛けた見城徹氏(現冬舎社長)がテレビで尾崎について語るのを見たことがある。尾崎は彼(見城氏)に仕事をさせなかったそうだ。殆んどマネージャーみたいに見城氏を関わらせ、その無軌道ぶりにほとほと手を焼いたらしい。

自分を愛する人は、それと同じくらいに人を愛する事が出来ると僕は思う。自分にいいかげんだと、そのぶん人にもいいかげんになると思う。尾崎は異常なまでに自己を愛し、その理解者を受け入れた。だが、その密度は常軌を逸するほど濃く、他者を他者のままにしておけなかったのだ。見城氏が「仕事で行けない」と言うと、「裏切るのか」と悪態をつくわけだ。男女の仲が異常に濃い時期、「仕事に行くな!行ってくれるな!ずっとあたしのそばにいてほしーの!」とのたまう女がいるが、そういう状態になる。究極の駄々をこねるわがまま状態であり、それは社会人としての資質を著しく欠いている。


そこまで言わなくても・・・という状況になってきた。もちろん、センター試験の問題作成者がそんなところまで意識するはずもないと思うが、何しろ今の時代に尾崎を見習えというのはどうにもかなりの違和感が伴う僕だ。


言っておくが、僕はそのような尾崎豊をこよなく愛している。

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2008年01月20日 04時08分16秒

スペシャルな「SP」

テーマ:テレビ的なはなし

ここしばらく、好きなドラマもあまり見ていない。

「こんなの見てる場合か?」などと集中できなくって気もそぞろになっちまうのだ。とはいえ待ってる以外にやることないケースもあり、文句なしに見はまってしまうというのもある。それがこれだ。フジの「SP」。


岡田准一は好感のもてる俳優。何年前か、TBSでやった深津絵理とのドラマを見た。加来千賀子、小雪、原田知世の順だと思うが、姉妹がいて、末っ子の岡田准一(長男)に深津が嫁ぐお話。岡田は姉さん女房をもらうけど、女ばっかりの家でなんだか頼りなくて、それでも長男として頼みにされている存在だった。丁度いい「なよなよ感」と「きりり感」が姉さん女房の深津をやきもきさせ、義理の姉たちの奔放ぶりにおろおろする深津絵理だった。丁度その頃だったか、やはり年上の女(長谷川京子)に惚れる役をほかのスペシャルドラマで演じていて、「男になりたくてもがき苦しむ男」が絶妙だった覚えがある。


あれから何年かたったおかげで、彼からなよなよ感がかなりやわらいだ。そこへいくと、今回の役はぴったりだと感じる。ドラマでは警察組織における現場のもがきが描かれている。「踊る大捜査線」もそうだが、キャリアとノンキャリアというのはたいがい対照的な構図が用意されているようだ。責任をとらせるものととらされるもの。使うもの(キャリアとしての管理職)と使われるもの(ノンキャリアとしての現場警官)。特に、このSPという職務はマルタイ(護衛対象者)の身代わりになる事を要求されていて、SPである以前に警察官でいながら、それでも犯罪者に立ち向かう事をよしとされないという、常にジレンマを抱えた立場だ。おまけに、主人公である井上(岡田)が過去の事件によってか知らないが殺意を直前に感知する能力を有していて、マルタイが襲撃される瞬間がわかってしまうという厄介な存在。


SPだけに?とってもスペシャルな展開で、映像のつくりやシーンごとの間がなんといってもかっちょいいし、複数回にわたってお話をやってくれるからなかなか見応えがある。繰り返し映像をはさんでて実際はそんなに長くないんだが、もったいぶってるせいでどうしてどうして惹きつけられる。たっぷり前フリしといてたいしたことなかったらむかつくんだが、このアクションシーンは臨場感といい立体的なコマつくりといい、予想以上の出来。


去年の秋ドラマは正直言ってガリレオくらいしか見てなかったし、年末に入ったらまたぞろしょうもない企画ばっかりで僕はぐったりしてた。もう、このSPが始まるのをとっても楽しみにして新年を迎えたんだが、悲しい事に、次回が最終回だと。

延長してくれんかなぁ。

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2008年01月01日 05時00分10秒

お年賀

テーマ:本日の・・・?

あけましておめでとうございます。

昨年は喪中だったんで新年の挨拶を遠慮させて頂きましたが、今年は簡単にではありますが、記しておきたいと思います。


昨年の後半はお店の事でごたごたばたばたしてまして、まぁ尻すぼみみたいなかたちでブログの方には力を注げませんでした。よって今年はより一層の力を振り絞ってもそもそ書くのかと言えば?そんな風にはいかないと思います。おそらくこの数ヶ月はぽつりぽつりと書くのがやっとだと思います。あしからず。何故なら、お店の問題はまだまだ片付いておらず、むしろこれからが正念場を迎えるところですからして。まぁお暇な時に時々ご訪問いただけたら幸いに存じます。


ところで、今年は少し、年頭にあたって自分でも並々ならぬ決意を持っております。というのは、毎年年の初めには何かしら気持ちを新たにする事もあるとはいえ、僕個人としては、実は「まぁなるようになるんじゃなぁい?」ってな気分を抱いてぼわっと過ごしていることが多かったのです。しかしながら、「まぁまぁ」「やれやれ」などと言ってるうちに僕も40を越えており、「まじでこれはいかんのぢゃないか?」という思いを強くしているからです。

よって、いろんな面でですが、今年は自分を劇的にとはいかないまでも相当かなり著しく明らかにジャンプアップさせたいのです。本当にこのままではいけないのです。そうです。やるのです。

お店のことも、個人的なことも、自分にはっぱをかけて我が身を磨く気持ちです。

おのれを強く律する事です。あとは「もうないもの」と考えて背水の陣でのぞみます。


そんな僕ですが、何はともあれ今年もよろしくお願いします。


なにいきがってんの?って感じでですか?いやもうマジですから。


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