毎日書こうと思っていても、なかなか毎日はかけないものですね。ブログ(笑)
今日のタイトルは子供と夫婦。
「子はかすがい」という、ことわざ?故事成語?がありますよね。
意味を調べると、、、
「子供は夫婦の仲を繋ぎとめてくれるものだというたとえ。
夫婦仲が悪くても、子への愛情のおかげで夫婦の縁を切らずにいれるということ。」
であるそうです。前からおかしな言葉だなぁ~、と思っていました。まず、父⇔子供、母⇔子供の愛情は残っているように読み取れるけど、父⇔母の愛情が保証されていないという点。昨今、熟年離婚という言葉がは流行っていますが、子供が手が離れればそう(離婚に)なるのが普通で、かすがいの効果もどうなのかな、過去だけの話か、みたいに感じてしまいます。
あと、もう一点。夫婦仲の危機の原因を作っているのはおそらく子供が関係していることが多くて、夫婦仲の危機を救っているのも子供、である点は興味深いな、と。これで夫婦の絆が強くなるというのであれば、まさにサイヤ人的成長(笑)。自らを傷つけて、自らで回復する、みたいな。
もうひとつ、この言葉は、子供もちの夫婦が大前提で会って、子供がいない夫婦は“かすがい”がないので別れやすいのか?、ということも気になる。自分は既婚者であるから子供なし夫婦の生活を想像することがが難しいな~、と思っていたところ、昨年大ヒットしたドラマ・漫画「逃げる恥だが役に立つ(逃げ恥)」を観て・読んで、とても参考になった。
また、私の周囲にも同じような子供なし夫婦が数組ほどいるのだが、話を聞いていると「子供をもたない共稼ぎの夫婦」というものを、とても羨ましく思うようになった。お互いの仕事が終わったら、外で美味しい夕食をして家に帰る。お互いに時間的余裕があるときは自宅で一緒に食事をしてもいい。共稼ぎだから、どちらが食事の準備をするとかは決まっていなくていい(数なくとも私は)、共同で一緒に作っても良し、片方に大きく依存した場合は、もう片方が感謝を何らかの形で表現する(←逃げ恥風のシステムによると:笑)。
あー、いいなぁーーー
と思った。共稼ぎであるから経済的な問題も少ないと思う。生命保険も不必要にかけることもないし、自分たち以外の人間に様々な健康保険を掛ける必要もない。少し豪勢な旅行とか、海外旅行なんかも全く問題なくできるだろう。
「なんで自分は結婚して子供を作ったんだろうか?」
最低である(苦笑)。無いものねだりなんだろうということも、頭ではわかっている。
「子供は好きだけども、色々な問題が発生するので、夫婦の時間をしっかり確保できなくなる。」このような考え方から、あえて子供は作らないという選択をしている夫婦がいることを知った時、「なぜ(子供をもつ)経験をしていないのに、そんな冷静な判断ができるんだろうか」と、尊敬の念さえ抱くようになった。
子供が生まれたころは、仕事を一旦おえて18時くらいに家に戻り、子供をお風呂に入れて、食事をしてからもう一度職場である大学に戻っていた頃もあった。子供とお風呂に入る時間は数少ないスキンシップの時間であるので、自分としてはそれほど苦ではなかった。ただ、子供が大きくになるにつれ「ママと(一緒にお風呂)がいい~」と言うようになる。“ママママ教への入信”である(これについては後日また)。嫁様が「大変だから、あまり急いで帰ってこなくていいよ。お風呂入れるから。」と言ってくれたので、少し帰宅時間が遅くにずれるようになる。
世のお父様方はご存じだと思うが、「マ魔の21時」というものがある。嫁様が子供を寝付けさせる時間だ。誤ってこの時間帯(家庭にもよると思うが20:30-21:30くらいか?)に帰宅してしまうと、いつもこの時間に寝るはずの子供のリズムを狂せてしまう。子供は、基本寝たくないので、この時間に普段家にいない父親に絡んでくる。普段はママママ教信者の子供が、一瞬でもよりそってくれると父親も勘違い?して一緒に遊んでしまう(笑)。そうなると、嫁様の「子供をいつもの時間に寝かせ、そのあと考えていた色々な予定」が崩壊する。嫁様の機嫌が悪くなる。だから、父親が帰宅するとしたら、19:30頃、または、22:00以降だろう。これが「マ魔の21時」である。
そもそも18時を過ぎるとお腹が空くので、学食や大学の周り、最寄り駅近くで夕食を取るようになる。食べるのを忘れたり我慢して22:00以降に家に帰っても、自分の食べたいものは滅多に用意されていないし(夕食は子供仕様)、疲れているのに自分で温めたり焼いたりしないとならない。うちの場合、嫁が子供を寝かしつけた後で居間にいたとしても食事の準備はしてくれないから(おそらく、子供を寝かしつけた後は自分の時間ということなんだと思う)、外食で好きなものを食べた方が嬉しいし、楽である。ましてや、外で夕食を一緒してくれるような仲の良い友人ができれば、とても楽しくなるだろう(なかなかできないが)。この場合、少しだけ気になるのは経済的な問題であろうか。だから、ここでも思う、共稼ぎであればなぁ~、と。
いま比較しているのは「子供がいる専業主婦をもつ夫婦」と「子供がいない共稼ぎ夫婦」である。「子供がいて共稼ぎの夫婦」はひとまず置いておくことにする。上で、「子供がいない共稼ぎ夫婦」のことを羨んだが、話を聞くと、いつまでも二人で食べたりしないようだ。なぜだろう?二人で食べなくなるきっかけやタイミングを考えると、例えば、仕事の終了時間が一緒ではない、飽きる、などが考えられる。何かがきっかけで夫婦間の距離が遠くなってしまった場合、子供のような“かすがい”はない。よって修復不可能になる?のだろうか。でも、“かすがい”があるせいで、我慢して仮面夫婦を装うよりいいのかな、とも思う。
逃げ恥を読んで、「契約婚」があることを知った。また、逃げ恥で行われていた「実際に主婦として雇用し、対価を支払う」というシステムはとても興味深いものだと思った。これを観て、じゃあ、逆に、「契約離婚」もいいのではないか?と考えるようになった。しかし、ネットを調べてみたが、私が考えるような「契約離婚(=事実離婚)」という考え方はほとんどなかった。唯一、下のブログで実践されている方がいただけであった。
http://hikari3.hatenadiary.jp/
子供のためにある時期まで仮面夫婦を装う必要のあるカップルに対しては「契約離婚」なるものがあってもいいと思う。私の考える契約離婚というのは、しばらくの間、子供のために表面上は体裁を整えているが、老後は一緒に居たくない夫婦が、財産分与はきっちりきめておいて(遺族年金の権利も残す)、「結婚」という状態を形式上保ちつつ、子供がある一定の年齢になればお互い自由になる・干渉しない、必要であれば別のパートナーを作ってもいい、というものである。
私が提案する契約離婚が熟年離婚と大きく違うのは、専業主婦をしていた側のリスクを低くできる点である。育児と専業主婦をしていた側の再就職はとても難しいだろうし、育児期間は忙しいので、それ以外の自分磨き的なことは、余程の強い意志がある方でないとできないだろう。一方、家計を支える側は仕事は忙しいものの、就業時間が終わればマ魔の時間まで外でで自由にできる(お金があれば)。この間にパートナー候補も見つけることができる人もいるだろう。自分は後者であるが、不公平であると感じる。熟年離婚は仕事がある側にとってはそんなに大きな決断ではないが(正直、私はいつでも離婚してもいいと思っている)、仕事がない側にとっては死活問題である。そのせいで、本当は離婚したいのに離婚しない・できないという方も多いと推測する。現代では、子供ではなく、金こそが“かすがい”なのだと思う。