20091014

あくまでも「自分自身を中心軸に置く」ことが大切

 

「自分自身を中心軸に置く」ということが

大切であることも、度々、お伝えしていますが、

これは、そうすることで、光のネットワークに繋がり、

スピリチュアル・ガイドたちと繋がり、やがては、

宇宙の根源に繋がってゆくために大切だからです。

 

逆に云えば、自分自身を中心軸に置いていないと、

光のネットワークから外れてしまい、

スピリチュアル・ガイドたちとも繋がりにくくなってしまう、

彼ら彼女らの声が聞き取りにくくなってしまう、

という状態に置かれます。

 

この、「自分自身を中心軸に置く」ことは、

一般的な生活の中では、どのような

意識状態にあると云えるでしょうか。

 

それは、自分自身を大切にすることであり、

これを抜きにして、他の誰かに対して、

お節介を焼いたりするのは、文字通り、

余計なお世話となってしまいます。

 

よく、ボランティア活動、奉仕活動と

呼ばれるもので陥りがちなことは

私は、あなたのために、こんなに

やってあげているのに!というような、

一方的な押し付けがましい想いが

強過ぎてしまい、そこに、

自分自身が無くなっていることです。

 

これは、自分自身の中心軸から外れています。

 

自己を無にして、他人のために奉仕するのが

美徳だと想われている方がいらっしゃるとしたら、

それは、本来の光の道からは外れてしまっている

ということです。

 

ここで、「自分自身を中心軸に置く」ということは、

自分自身を大切にして、自分自身が快適に生きるために、

自分自身が快く過ごしてゆくために、その延長線上に、

他人のために行動するということです。

 

なぜかと云えば、「この世界」の現実を創り出しているのは、

他の誰でもない、自分自身であるからです。

 

これは、自己中心的、利己的である、

ということとは、全く違います。

 

自分自身を蔑ろにしたり、

卑下したりしないということです。

 

自分自身は、神の分身、分霊であるので、

自分自身は、大切で愛しい存在なのであり、

その存在が、善いも悪いも関係なく、

外界の現実を反映しているのです。

 

それはまた、自分自身に傲慢になることや、

ナルシストというような自己陶酔とは違います。

 

自分自身が、周囲の外界を映し出しているので、

「自分自身を中心軸に置く」ことが一番大切であり、

それは、自分自身の直観や閃きから来る

感覚というものを大切にすることです。

 

私の場合を例にしてみますが、

私がこのブログの更新を続けているのが、

自分自身を無にして、誰か他人のためだけに

という想いであったとしたら、それは、

自分自身の中心軸からは外れていることになります。

 

それでは、逆に、自分自身を中心軸に置いている場合は、

私は、自分自身のために、このブログを更新していて、

私が、自分自身のために役立っているのであれば、

他の誰かのためにも役立つかもしれないという、

自分自身の延長線上に、「他の誰かのために」がある、

という状態が相応しいということです。

 

これを一般的なことに例えるとしたら

何らかの商品を提供するような仕事であった場合に、

自分自身が楽しい、嬉しい、心地よい、快適である、

というような想いで仕事をしているのが主軸にあり、

その延長線上で、他の誰かに対して、どのようにすれば、

その自分自身の、楽しい、嬉しい、心地よい、快適である、

などの想いを込めて提供出来るかという視点に立つことが

大切であるということになるでしょう。

 

ですから、「自分自身を中心軸に置く」とは、

自分自身の気持ちを全く無視して、

他の誰かのことを考えるのではないということです。

 

しかし、それは、自己中心的、利己的な、

我がままから来るものではなく、

自分自身を大切にしようとする、

優しさや思いやりから来るものであることです。

 

換言すれば、内なる光を、外へと放出していくことであり、

これこそが、自分自身を中心軸に置いている状態です。

 

 

 

見えない糸で 心繋いでるんだ

僕らはそれに乗っかってやりとりしてるんだ

 

真っ暗な夜が来たって どしゃ降りで見えなくたって

僕のプラットホームは 君といつも繋がっている

 

school food punishment 『sea-through communication』 のPVです。

 

posted by Kagari ∞ Kazuki at 06:55

 

貼り付け元  http://mihoh.seesaa.net/article/130223448.html

 

 

 

20090512

「世界を変える」とは、高い次元領域に上昇してゆくということ

 

前回の記事の中で、

 

「西暦2008年末、冬至の日以降、

大きな魂の二極化が始まっているということ

(光の世界に入ってゆくか、このまま闇の世界に留まるか)」

 

という部分について、補足しておきたいと想います。

 

私は、西暦2008年末の冬至の日が

タイムリミットであると書きました。

 

ですから、このタイムリミットに間に合わなかった方は、

相当な意志を持って、真剣に霊的真理を学び、

霊性進化向上してゆく必要があります。

 

自分自身が間に合ったのかどうかという基準は、

感覚的なことでしか分からないかもしれませんが、

自分自身の周囲が、以前とは何かが違う

という感覚があるでしょう。

 

 

この世界を平和にしたい、この世界を

愛に満ち溢れた悲しみのない世界にしたい

と想われている方がいるとしたら、

その考えは、大きく方向転換をする

必要があるでしょう。

 

結論から申し上げますと、

この世界は平和にはならないし、

この世界は、一向に良くなることはなりません。

 

私が、ここで申し上げております、

「この世界」とは、私たちがこれまで暮らして来た、

3次元物質界のことですが、

3次元物質界は、あくまでも、何処までいっても、

3次元物質界のままだということです。

 

つまり、「この世界」は、

後方に、そして、低位置に、

置き去りにされていってしまう世界です。

 

私たちが、「この世界」に留まっている限りにおいては、

果てしなく、堂々巡りを繰り返してゆくだけです。

 

そのようなことで、「この世界」に留まるとは、

闇の世界に留まると同義語であるということになります。

 

そうではなくて、私たちは、

「この世界」よりも、少しでも上の領域の世界に、

昇っていく必要があります。

 

残念なことに、「この世界」は、

もう、どうにもならないのです。

 

ですから、今回、地球とともに、

アセンションを選択しなかった方々は、

宇宙の何処かの似たような3次元領域の物質界に、

移行する、ということになります。

 

しかし、私たちは、「自分自身を変えることで、

周囲の世界を変えてゆくことが出来る」

という言葉を聞いたことがあるでしょう。

 

これは、水瓶座の時代に向かう、この時期に至っては、

3次元物質界自体を変化させたのではなく、

自分自身が、以前よりも高く上昇したことにより、

より高い領域の人々、環境などを、

自分自身の周囲に引き寄せたということになるでしょう。

 

その結果、自分自身と、その周囲の次元領域が上昇した、

自分自身の存在する位置が、以前よりも上昇した、

ということが云えるでしょう。

 

つまり、以前よりも、「この世界」が、

良くなったように観じるとすれば、

私たちの存在している位置は、

3次元物質界よりも、高い領域に存在している、

これまで住んでいた領域とは、明らかに違う、

ということが云えます。

 

そのようなことで、後方に、そして、

低位置に置き去りにされていってしまう、

3次元物質界という「この世界」を変えるのではなく、

自分自身が変わることで、高い領域に次々と移行してゆく、

いつの間にか、高い次元に移行してゆくということになります。

 

その螺旋状からなる延長線上において、

光の世界に入ってゆく、ということになります。

 

 

 

君にしかない その翼広げて

 

絢香 さんが唄う 『夢を味方に』 のPVです。

https://youtu.be/Bro5SR9aWNU

 

posted by Kagari ∞ Kazuki at 23:55|

 

貼り付け元  http://mihoh.seesaa.net/article/119302874.html

 

Time To Say Goodbye - Sarah Brightman & Andrea Bocelli

 

The Greatest Showman - Never Enough

 

Kalafina 『into the world』MV(Short Ver.)