その後のタンス部屋
エアコンを発明した人は偉大だ、とつくづく思う。
PCを置いているプライベートルームが、実は妻のタンス部屋で、その部屋のエアコンが壊れた、と以前の日記に書いたが、その日以来私のPCライフは灼熱地獄のどん底に叩き込まれた。
そっと目を閉じると、熱中症で逝きそう・・・ではなくて、涼しかった去年の夏の日が走馬燈のように甦り、思わず「カムバック、エアコン!」と叫びたくなる。
そんなとき、私は楽しかった3年前のグアム旅行を思い出し、タンス部屋をプライベートビーチに見立てて、暑さを紛らわせることにしている。
威圧的にそびえ立つ妻、じゃなくて、妻のタンスは「恋人岬」の断崖。
少し日焼けしたタタミは白いサンゴ砂のビーチ。
窓に掛かるブルーのカーテンは紺碧の東シナ海。
PCの冷却ファンから立つ南国の風がビーチを吹き抜け、ふと股間に目を落とすと、おおっ!そこには『巨大ナマコ』が・・・。
うーむ、これは珍しい。
忘れてはいけないので、念のため、もう一度書く。
『巨大ナマ◯◯コ』。
・・・・・・ちょっと違うな。
『巨大ナマ◯◯コ 雁太ハードコーティング仕上げ』。
ちなみに、「水着姿の女性」などという不埒な発想は、頭の片隅にも思い浮かばず、私のストイックかつ誠実な面が浮き彫りにされて、好感度大幅アップ間違いなしである。
などと考えながら、PCに向かっていたら、いきなり扉が開いて「水着姿の女性」が乱入してきた。
って、違うぞ。
私が所望したのは「水着姿の女性」であって、「水着姿のオバハン」では無い、と思ったら、案の定、その正体は妻であった。
にしても、何ちゅうカッコしてんねん。
「コレ?新しく買った競泳用の水着だよ。カッコいいでしょ!」
妻は一昨年の秋からフィットネスクラブで水泳を習っていて、当初はクロールをマスターするのが目的だったが、1年半経っても『息継ぎ』が上手く出来ない、というヘタレ振りを発揮し、この間からは「北島康介の後に続くのは私よ」、などとわけわからんことを言って、平泳ぎに転向している。
「で、その水着を見せるためにわざわざ着たのか?」
「違うよー。この水着に合うキャップとゴーグルを選んで欲しいんだよ」
そう言って妻は隣の部屋からキャップとゴーグルの束(?)をワラワラと持ち込んできた。
新しい水着は黒地にピンクのライン入りなので、一番無難なのはピンク色のキャップと黒いゴーグルの組み合わせである。
妻にそう言うと、「私もそうは思ったんだけど、ピンクってなんか弱っちの初心者みたいだからイヤなんだよ~」と不満顔で言い返してきやがった。
筋金入りの『なんちゃってスイマー』の分際で何をぬかす。
その後も妻は、あーでもない、こーでもないと言いつつタンス部屋に居座り、体から異様な熱気を放出するので、タダでさえ暑い室内が更にヒートアップである。
私としては、さっさと決めて早いこと部屋から出て行って欲しいのだが、こういうときの妻は気が立っているので、絶対服従しておくのが賢明だ。
結局、ピンク色のキャップを実際に合わせてみると、思いの外よく似合ったので、妻の機嫌は一気に良くなり、部屋から出て行く間際、私に向かってこう言い放った。
「ねえ、私の水着姿が見れて嬉しかったでしょ?」
・・・その恐ろしいまでの自信は一体どこから来る?
坂道の途中に
私の通っていた高校は山の上にある。
毎朝の登校は上り坂ばかりなのでかなり辛いが、山間の木々の隙から覗く阪神間の街並みや大阪湾を眺めながら下って行く下校時の坂道は、それなりに爽快感があった。
高校2年の夏休みを間近に控えたある日、授業が終わると、私は珍しく一人で我が家まで最短コースの帰路に就いた。
学校から直帰出来るのは何日ぶりだろう。
友人のTが一緒だと、必ず彼の家の前まで無理矢理引っ張られて行くので、20分の帰り道が1時間以上かかってしまうのだ。
午後の日差しは既に夏の厳しさを湛えていたが、木漏れ日になるとそれほど不快でもなく、ただ蝉の鳴き声だけが少しばかり耳障りである。
私は両脇に木が生い茂った九十九折りの坂道をずんずん下っていった。
そして九十九折りの3つ目の曲がり角を曲がりきった途端、ある物体が私の視界に飛び込んできた。
バナナの皮である。
剥かれたバナナの皮がタコさんウィンナーのような格好で、私の前方約30mの路上に落ちている。
その姿を見た瞬間、私の心の中に実験願望がムラムラと性欲のように湧き起こってきた。
よく、昔の漫画やアニメで、落ちているバナナの皮を踏んづけて滑って転ぶ、という古典的ギャグを見かけるが、私の知る限り友人知人の中にバナナの皮で転んだヤツはいない。
果たしてバナナの皮を踏んづけると本当に転ぶのか?
今まさに、実験対象としてはおあつらえ向きのバナナの皮が、「私を蹂躙して!滅茶苦茶にして!」と言わんばかりの悩ましい姿で横たわっている。
私は一旦立ち止まり、前後左右を見渡して、周囲に誰もいないことを確認した後、歩幅を修正しながらバナナの皮目指して歩いていった。
上手い具合にごく自然な形で左足がバナナの皮を捉えた瞬間、
ずりゅっと、ものの見事に滑った。
バナナの皮と共に左足だけで坂道を滑り落ちた私は、中途半端な「前後開脚姿勢」で横倒しになった挙げ句、縁石の角で○○○の付け根辺りを強打し、痛みのあまり顔を上げると、たまたま原付に乗って坂を登ってきたオバサンに、蔑むような視線を浴びせられた。
そんな目で私を見るな、無礼者。
それ以後、私は機会ある毎にバナナの皮の危険性を口にしてきた。
しかし、後にも先にもバナナの皮で転んだアホなヤツは、現在のところたった一人しかいない。
プライベートルームはタンス部屋
弟が住んでいる家の2階廊下の突き当たりに小さなドアがある。
初めてこの家を訪れた人のほとんどが、家の位置的構造から見て、ドアの向こうは納戸かトイレだと思うに違いない。
しかしてその実態は弟のプライべートルームである。
広さ僅か2畳の空間にPC机と音楽CDのラックが置かれ、大人2人が入るとほぼ足の踏み場が無くなるこの部屋で、毎夜弟はインターネットをしたり、好きな音楽を聴いたりして、仕事の疲れを癒す。
自分の持ち家でありながら、心底くつろげるスペースがたったの2畳とは、全くもって哀れとしか言いようがない。
お兄ちゃん、嘲笑っちゃうぞ。
それに引き替え、私のプライベートルームは怒濤の4畳半であり、弟の『2畳』に比べると、何だか北海道の広大な原野のようにさえ思えてくる
実際、私のPCとプリンターを置くだけの部屋にしては広過ぎるので、お情けで妻の整理ダンスと洋服ダンスを置いてやっているぐらいだ。
しかも、妻が取り入れた洗濯物をPC机の真横に放り込んできても大目に見ているし、「爪のお手入れしなくちゃ」などと言いながら、部屋中に除光液の匂いを充満させても、寛大な心をもって対応することにしている。
まあ、これだけのプライベートルームを保有しているのだから、自然と心も広くなるというものである。
ところがつい先日のこと、驚愕の事実が判明した。
その日、PCの前で読む者の魂を揺さぶるような、感動的な日記を書き込んでいた私の全身は酷く汗ばんでいた。
「おお、私の燃えたぎるような情熱が自らの体まで熱くさせたのか!」と思ったら、エアコンが壊れて止まっていた。
私はプライベートルームを出てリビングへ行き、妻に事情を説明することにした。
「オレのプライベートルームのエアコンが壊れたから、なるべく早く修理を呼んでくれ」
「えーっと・・・プライベートルームって私のタンス部屋のこと?」
「いや、だから、オレのパソコンが置いてある部屋のことだけど・・・」
「やっぱり私のタンス部屋じゃないの。いい?あの部屋にはお情けでアナタのパソコンを置いてあげてるけど、本来は私のタンス部屋なんだから勘違いしないでよ」
「・・・・・・。」
何ということであろうか。
私のプライベートルームだとばかり思っていた4畳半は、実は妻のタンス部屋だったのだ。
ついこの間まで、「プライベートルームが2畳しかない惨めなヤツ」と弟を嘲笑っていた私だったが、一気に形勢逆転して今度は嘲笑われる立場である。
しかしまだ、起死回生のタンス、いや、チャンスは残されている。
娘が結婚して家を出れば、『東南角部屋7畳+2畳のウォーキングクローゼット』が空くことになり、そこを自分の部屋にしてしまえば良いのだ。
ということで、いつか必ず加齢臭で私色に染めてやるから、首を洗って待ってろ!娘の部屋。