ポロン、コロン。
そんな風にあっけなくチェリートマト達はこぼれ落ちる。スーパーの「トマト詰め放題」のコーナーでは、可憐な赤が入り口を飾っていた。
透明のプラスチックのケースにトマトを詰め込む人達の顔は真剣そのもの。いかにバランス良く、ひとつでも多くケースに詰め込めるか。あとひとつだけ・・・と、トングでねじこもうものなら、反対側からポロリ、と、小さな粒はこぼれてしまう。
欲張ってギュウギュウに詰め込めたとしても、トマト達は窮屈そうに顔をひしゃげ、せっかくの新鮮な風味が損なわれてしまいそうだ。ひとつねじ込めば他のひとつが椅子とりゲームのようにはじき出される。入れられる量なんてものは、きっとはじめからおおよそ決まっているのだ。
雑誌の表紙に「全てを手に入れた女」という文字が輝いていた。「全て」が意味するのは恐らく、お金、健康、家族、名誉、権力・・・。ひとつでも多くのそれらを手にすることで、自分はこの世で敗者ではなく勝者であることを実感できるのだろう。
オトナの仮免許を手にしていたあの頃は、ひとつでも多くのトマトをと、ケースにギュウギュウにねじ込んでいたものだ。もっともっと、と、欲は尽きることが無かった。今は何故か、ケースの底で形を崩し、つぶれかけているトマトたちのことが自然と目に浮かんできてしまう。
ひとつを手にすれば、バランスを保つかのようにひとつを失う。出世すれば孤独になるし、美貌はいつか衰える。誰もが熱狂するアイドルでも、風の向きが変われば一瞬のうちに嫌悪の対象になるし、時の栄華を誇った将軍の誰もが、次なる先導者にバトンを渡す時を迎える。
この手の中からこぼれおちることの無い「トマト」なんてものがこの世にあるの?絶対に自分のもとを去ることの無いパートナー、飽くことの無い情熱、愛、滅びはしない富や名誉。そんなものを目にした人などいないだろう。
全てを手に入れることができても、それはほんの束の間だったりもする。今この手に握りしめている何かとて、明日にはハラハラと指の隙間をすり抜けていくかもしれない。来月も私は健康?集いわかちあう仲間の心はここにある?手にした「全て」は、思いのほかあっけなくて儚いもののように思えて。
ポロン、コロン。だから、床にこぼれ落ちるそれらをそのままにしておこう。手に入れるべき「全て」は、強欲にねじ込むものでもなければ、あれもこれもと無作為にかき込むものでもない。
たとえ流氷の彼方に流されたとしても、全てを失って人生のどん底に落ちても、今自分が持っている何もかもと引き換えにしてでも、握りしめ手にしていたい大切なトマトをトングでつまんだなら、つぶれないようにそっとこの手のひらに包み、慈しみたい。
家族、友達、またはかけがいのない誰か。
あなただけが、この手の中から離すことのない、たったひとつの私の全て。