暑い。街にはまだこんなにもじっとりとした湿度が漂っている。ウインドーに飾られたテラコッタカラーのニットを見ても、この暑さではまだ秋服のことなんて想像できない。
ショップの店員の方々は、ファーのベストやレオパート柄のショートブーツで決めた秋の出で立ち。そりゃあそうだ。店内は真夏となんら変わる事無くエアコンがガンガンに効かされていて、寒いくらいだもの。素肌の皮膚感覚は夏、視覚的には秋。
けれど、辺りを見渡して思わずノースリーブの自分の両肩を包み込みたくなってしまった。道行く人の大半は、早くも秋の装いなのだ。爽やかでいながら毎度ドキリとさせられてしまうブロガーの方が記事に書かれていたけれど、人は9月の声を聞くと早々と秋になろうとする。
どんなに暑くても汗が流れ落ちても、カレンダーがめくられ「9月」の文字が現れると、人は長袖を取り出し次の季節へのチケットを手に、足早に秋の車両に乗り込む。ちょっと待ってよ、まだこんなに暑いのに?いつしかこのホームに立ち尽くしているのは私だけ・・・。
人は皆、秋のフリをしたいのだ。どんなに暑くたって秋のフリをして秋だと思い込もうとし、夏を忘れ、遠ざけようとする。もう午後5時だというのに車内温度計が示すのは29度。それでも私達はそんな数字は見なかったことにして秋のフリをする。
夏よ行かないで、まだまだ夏でいたいの!なんてそんな子供染みたことを言うわけにはいかない。いつまでも夏のままではいられないのだ。だから、「フリ」をしながら暑さを忘れ、自己洗脳するかのように自分に言い聞かせる。もうそんなに暑くないはず、秋なんだぞ、と。
そうでなければ人生を前へ進めない。どんなに暑くても、まだここにいたくても、次なる駅へ向う車両に乗り込み、扉を閉め、自らを次へと進めなくては。
早く忘れよう。大丈夫、たぶんもう好きじゃない。忘れて次の駅へ行けるはず・・・。自分をそう思い込ませる。汗をじっとりと滲ませながら暑さに耐え、痛みを忍び、まぶしかった夏の余韻を瞼の裏に感じながら、まずはファー付きのサンダルで足元から秋に袖を通す。
秋のフリして忘れましょ。さっさと、そして潔く。温度計がおかしくなりそうなくらい燃え上がった、あの狂おしい「夏」のことなんて。