終わり(後編)
ここ最近、体調がやたら悪化し、こりゃマジでダメなんぢゃないか?という思いも湧き出る様になっていた。そんなある日の真夜中、あまりのしんどさに項垂れていた時、ふと入って来た言葉、
「パパ、また明日ね」
その瞬間、高揚感に満たされ、身体もふっと楽になり、「まだ生きられる」という想い。娘とお出かけを楽しんでいるイメージがやおら浮かんできた。仕事以外を楽しみに感じた、久々の感覚だった。その後もなんとか騙し騙し過ごしていたが、16日満月の影響は凄まじく、貧血状態が更に悪化。足は震え、立てば目眩、意識保つのにも一苦労、死を意識するに充分な状況に。実際死んだことあるから分かる。産まれた時を除いても2度目なので。
この苦しみから抜け、役割を全う出来る状態にするにはどうするべきか?
……仕事やめるか!
矛盾する様だが、今は過去の延長線上での仕事をしている。一度そこに見切りをつけ、その全てをご破算にしたら前に進めるのではないか?やるべき仕事が出来るのではないか?ということ。
そう想えたのも娘のお陰なのだろう。あこ先生によれば、ゆいの【ゆ】の字、は赦すを意味するとか?
この左部分
衆生を救う為に自ら火の中に身を投じたという慧春尼さんをも表してますね。
俺にとっての赦しってなんだろう?過去生から背負って来た、今生で背負ってきた、罪悪感を手放すこと。と、一番の肝が、他者の澱を背負わないこと。
再三、いろんな先生方に告げられ、カードでも毎度出ていた言葉だが、都度ホメオスタシスが働き然程変えずに生きてきた。背負い過ぎる気質は生まれつきで、友人の喧嘩も、同僚への理不尽な扱いも、病も気苦労も、自分のものとしてして背負ってしまう癖、そんな仕組みの人生を終了させる。
個人のエゴ、感情に引っ張られず、繁栄のインフラ創りのみに集中する。他者の感情や都合に左右されることなく、俺の閃き、衝動を霊的存在とのやり取りから得て行く。
丁度20日からは本格的に風の時代へと切り替わるそうで、感性に沿って自由に生きる。柵を無くす。限界を超える。現状にウンザリし、自由に思うままに生きるシーズンなのだとか。 そんな、冥王星の働きとキッチリ連動しているからこその体調不良なのだろう。
しかも、それを決めた後に知ったのだが、あこ先生に引いて貰った年間スケジュールで11月は運命の輪、12月は次の展開を考えている絵、全てが霊的に定められていたことだった。
不都合な現実とは、現代に生きる人間という生き物を構成する仕組み、生態そのものと、俺の罪悪感から来る特異な関わり方。今後はその柵を払い自由に一人で仕事をしていく。
年内を以て今現在携わっている全ての活動を終わりとします。