●地獄行き列車から抜け出すために(16-3)怨念
殆どの人は、怨念というワードから真っ先に思い浮かべるものは幽霊だと思います。彷徨える亡霊 昔読んだ漫画や映画等では地縛霊、浮遊霊と表現されていました。
僕の解釈では死んだ者の霊がこの世に残る事は無く、残心、つまり強い無念の想いだけが残り、敏感な者がそれを感知したものであると認識しております。
その昔に不動産屋さんから購入予定の物件の霊視を頼まれた事がありました。 観てみると、畳の部屋をぐるぐる歩き回る60代らしき女性の姿が… その旨を話すと、めっさ驚いた顔をしている。 なんでも奥様を亡くされたご亭主からその家を売って欲しいと依頼されていたらしい。

その後どうしたのかは不明だが、それを霊と呼ぶには不自然に思えた。 自我らしき部分が著しく欠如しているのではないかな?と 感情なく動き回る様子は、残像という表現が相応しいかな?と 自我は亡くなると霊界に帰って行く。という理論に賛同出来る貴重な体験でした。
当時は趣味で霊視を学んでいた為、これも無償で行っており、他者のために動いた全ての行為がその後の活動に繋がっております。 現在、地縛霊なる者の正体は死者の残留思念と説明してますが、その者の強い執着が死後もその場に残されたもの。と解釈しております。
この残像に怨みの感情が乗っていた場合には、その場に居るだけで気分が悪くなったり、酷い場合は心や身体の病に陥ることも少なくありません。 また、悪霊として暴れ回る場合もありますが、これは悪魔やハグレ自然霊(妖精とも云う)がその思念を利用して発す悪行であり、実際に死者が暴れることは無いでしょう。
まぁ、何にでも例外はあるので絶対とは言えませんが。 例えば、天使がちょいちょいこの世に現れる様に霊界から次元を超えて来る強烈な意志を持つ者とかも存在するやも知れません。 例えどんな事例だとしてもこの世に厄災を齎す要素に違いはなく、それを自分が放ったものだとしたらどうでしょう。 その邪気により犠牲者が出たとしたら… 幼気な子供や動物に悪影響を与えたとしたら…

僕自身、最初に行った自己実現は復讐であり、自我の目覚めだした7歳を境に、残虐性、暴力性、破壊衝動が行動の基盤となっていたので気持ちは分からなくはない。 しかし、それで幸せになることは決してない。 怨む、恨む心には悪魔が巣食う。 それも、虚栄心や物欲というある意味庶民的なものではなく、阿修羅という残虐性から成る最悪の悪魔に魂を明け渡すことになるからです。 (この際、理性、良心、罪悪感の無い澱的人間は除きます。)
奴らの餌は人間が放つ攻撃的悪意。 全体が貧しくなり、食料を奪い合い、略奪、蹂躙される恐怖の中で生きる今後の世界、 悪意に染まるのか?善意優位に生きるのか?
キッチリ決めとかなければ間違いなく前者のコースへ向かいます。 既にその道筋は見えて来ている。他者へ向けられる悪意をどう処理し、どう生きるのか? 憎悪を処理出来ない人へ向け、改めて記載してみようと思いました。 本当の手遅れになる前に
つづく
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