24 キリスト・イエスにつく者は、自分の肉を、さまざまの情欲や欲望とともに、十字架につけてしまったのです。
25 もし私たちが御霊によって生きるのなら、御霊に導かれて、進もうではありませんか。
26互いにいどみ合ったり、そねみ合ったりして、虚栄に走ることのないようにしましょう。
この事を完全に信じるならば、自分は聖書の事がすんなり入ってきたんです。
他にも死刑の方法はさまざまこの世にありますが運がよくて生きていた、とか、当たり所がよかったなど万が一あると思うのですが、我々が十字架にかかったら、(自分の肉が)完全に死にます 十字架ほど死ぬ死刑の方法があるでしょうか
24キリスト・イエスにつく者は、自分の肉を、さまざまの情欲や欲望とともに、十字架につけてしまったのです。
色々思いはあるでしょう、そんなこといっても自分の肉は生きてるし、情欲や欲望だってある!
24キリスト・イエスにつく者は、自分の肉を、さまざまの情欲や欲望とともに、十字架につけてしまったのです。
何言ってるんだ、そんな勘弁してくれ、この世の事もしなければどうして生きていけようか
24キリスト・イエスにつく者は、自分の肉を、さまざまの情欲や欲望とともに、十字架につけてしまったのです。
・・・降参だ、 自分の肉を、さまざまの情欲や欲望とともに、十字架につけてしまった
こうして聖書を読んでると、おかしい事に気づくんです
聖書の中にはこの世のこと、剣、槍、弓、飢饉、飢え、糧、パン、パン種、水、男、女、姦淫、偶像礼拝、香、家、神殿、宮、狐、牛、らくだ、ろば、豚、空の鳥、麦、畑、碾き臼、いちじく、ぶどう、父、母、金、銀、銅、真珠、星、太陽、月、岩、石、砂、馬、舌、民衆、国、群集、イスラエル、エルサレム、獅子、風、足、目、手、肉、骨、からだ
等々
24キリスト・イエスにつく者は、自分の肉を、さまざまの情欲や欲望とともに、十字架につけてしまったのです。
それなのに、肉や情欲や欲望の事が聖書に多く書かれてる、一体これは何なのか?(肉の人としてまた読まなければならないのか?)
それまで、パンや水、妻のたとえは理解できましたが、まさか他にも?と疑問をうけました・・・どうやら、隠されていたようです
おかしいかもしれませんが、正直こういう、肉的な世的な事は嫌でした早く死ねたら・・・とさえ思ってました
しかし、私にとってその望みは「永遠の命」あってこそだと考えました
黙示録 一般に天変地異なんて言われてますが、これで滅びれば天国に行ける!とも思ってました
私にとってかえって感謝です。(今ではやる事が出来たのでそう考えなくなりました)しかし、永遠の命あってこそです 曲がった道、教え、変な霊に惑わされず(私が張った動画もその一端です)
あの時授かった聖霊を大切にしましょう。
25 もし私たちが御霊によって生きるのなら、御霊に導かれて、進もうではありませんか。
26互いにいどみ合ったり、そねみ合ったりして、虚栄に走ることのないようにしましょう。
エレミヤの部屋をどうぞご参考にしてください。