なにやら最近、コオロギを食べるの食べなのでモメてるらしい。なんでも政府が昆虫食を推進するために6兆円もの予算をつぎ込んでるというデマも飛び交ってるそうな。2022年度の日本の防衛費が5.4兆円だから、6兆円も昆虫につぎ込むわけないのだけれど、頭の悪い人はそういう計算ができないんでしょうな。むしろ6兆円もつぎ込んだら、昆虫以外に食べるものがなくなってしまいます(笑)。
で、この騒動を見て、ぼくはなんか違和感を感じるのです。昆虫食を勧める前に、食品ロスを減らそう。牛乳が余って捨ててるのを先になんとかしろ。嫌いな人にコオロギを食べさせるのは言語道断。ま、そういう話を聞くと、まさにその通りだなとは思うのですが、でもなんだか、それ以前になんかしっくりこない感があるわけです。
ぼくは昔、東南アジアに旅行にいった人からコオロギとイモムシのスナック菓子をもらったことがあります。もう形はそのまま。虫を素揚げにしたうえで味付けしたので、見た目はモロで昆虫です。
ぼくは神経が鈍いので、あまりそういうのは気にならず、一口食べてみたのですが、これがまたひっくり返るほどおいしかったんです。もしかすると調理方法などのせいかもしれませんが、そのときぼくは「昆虫って旨いんだな」と認識した次第。
でね、先の違和感ですが、この日本にぼくみたいなモノ好きってけっこういると思うんですね。つまり、コオロギを積極的に食べたいと思ってる人です。つまり需要があるわけですから、それに対する供給があったっていいわけですよ。食べたい人がいるから育てる人がいる。それだけの話です。
ところが、マスコミが昆虫食の話をとりあげるとき、必ずといっていいほど、やれ将来の食糧難の切り札だの、やれSDG’sだのって枕詞を添えて報じるわけですよ。つまり、昆虫を食べるのがこれからの時代の「正義」である、とほのめかすわけですね。そうすると、その反作用として、
「いやいや、昆虫食が正義なわけないやん」
という声が響いてきて、論争が起きるわけですよ。で、バカがそれにのっかって、「昆虫食はビル・ゲイツの陰謀だ」みたいな話まで出てきて、ますますわけのわからん状況になってしまう。
なんでマスコミは「昆虫って好きな人は好きですからね」で終われないんですかね? なぜいちいち食糧難だのSDG’sだの難しいことをくっつけて、正義か悪かに分けたがるんでしょうか。信州では昔からバッタや蜂の子を食べてますし、世界を見渡しても昆虫を食べてる民族はいっぱいます。そういう人たちって、別にそれが正義だからと思って食ってるわけではありません。それが旨いと思ってるとか、習慣で食べてるとか、だいたいそういう理由なはずです。
昆虫なんて、ホントに食べたい人が食べたらいいだけの話で、それ以上でもそれ以下でもありません。食糧難の時代が本当にやってきて、コオロギしか食べるものがなくなったら、アンチな人だっていやでも食べますって。今、好きで食ってる人がいたとしても、そんなもんほうっておけばいいんですよ。
簡単な話をできるだけ観念的に難しく話そうとするのは、頭の悪い人の特徴です。せっかく日本でもコオロギが食える時代がやってきたと密かに喜んでいたのに、なんだかなまじSDG'sがどうとかって話が出たせいで、なんとなくコオロギを食べると食品ロス削減に逆らってるやつ、みたいな空気になってむしろ食いづらくなってしまいました。困ったもんです。
ちなみに、食糧難やSDG'sのことを本気で考えているなら、昆虫食よりも断食を国民に根付かせることですね。生活習慣病も減って医療費も浮きますよ。
ぼくの電子書籍、売れてます!!