私は幻想

 

時間も幻想

 

すべては幻想

 

 

だとわかっても

 

 

 

 

 

心地悪い感覚や

 

生きづらさ、、、

 

起きていることに

不満足だったりすると

 

なんとかしたい

 

変えたい

 

という

 

思いが湧いてきて

 

対処に走りたくなるのは

 

不自然ではないと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

幻想や何かを変えられる

 

コントローラーを持ってないことを

 

思考の理解で知っても

 

 

 

 

『私』の力で

 

なんとかしてきて

 

なんとかできて

 

”思うように変えられた”経験の

 

記憶がリアルで

 

 

 

 

『私』の人生は

 

自ら創ってきたという

 

感覚もあって

 

 

 

 

思い通りにならない現実を

 

変えられる、

 

どうにかできる、

 

という

 

錯覚、勘違いは

 

思考の理解では消えない

 

 

 

 

 

 

自分は

 

何もやっていない、、、

 

できない、、、

 

できることはない、、、

 

と知っても

 

『私』がいる感覚が

 

リアルにあり

 

消えることがないように

 

 

 

 

『私』がいるという

 

錯覚の現実はリアル。

 

 

 

 

 

 

思考で分かっても

 

解けることが起きるまでは

 

どうしても

 

『私』が直接に

 

外側、世界、事象、ひと、、、を

 

なんとかできる気がするんだよ

 

 

何かが目覚めて

 

幻想が見抜かれると

 

私という存在が

 

消えるんじゃなくて

 

主体であった私が

 

存在しない

 

もともといなかったことに

 

気づく

 

 

 

起こることは

 

変わらず

 

それまでと同様

 

なんでも起こってくる

 

 

起き得るものは

 

なんでも起きてくる

 

 

 

けれど

 

 

 

『私』に起きているのではなく

 

誰かに起きているわけでもなく

 

ただ

 

起きているだけになり

 

 

 

 

私が落ちると

 

それまで

 

私と私以外の関係性の中で

 

起きていたコントロール

 

支配欲の向かうエネルギーも

 

ごくごく

 

自然に

 

知らないうちに

 

世界から消え

 

 

 

 

 

 

 

どうにかしなくても

 

勝手に

 

どうにかなる世界が

 

残るんですね

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今日もありがとうクローバー

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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