本当は宗教は同じ事を言っているのだけども | 『真理と道理・人と神』

『真理と道理・人と神』

あの世とこの世のことから人の心や魂や家系の先祖、そこからの道理と常識の大切さを書いています
また先祖や神からの気付きや言いたいこと乗せてます

そういや、宗教にはそれぞれの霊学があると思うがやけど


宗派によって異なるというけど、異なってはいない


 
ただ、あの宗教が述べているのは、自分達で習うところのここの霊界のこと


向こうの宗教は、自分達の習ったここの部分の事


というて、相手の話の次元が、自分の習っている学習部分のどの霊界の部分を言っているのかと解れば


 
一つの大きな霊界を宗教の数だけ部分的に分けて、どこに視点を当てて深堀したのかの違いだけで


土台は同じとわかる。
 
 

地獄界から霊界、神霊界、魔界、神界、天国界と、霊界といえど分けたら散々にあるのだ


 
それをまだ一つ一つを百に分けて
その百のうちの一つを深堀しているのが、各宗教なのだから


 
全体が掴めたら、どこの何を言っているのかがわかって、誤解を生まん。
 
 
 
人それぞれ霊体のレベルや質が違うし
人生の難易度も全然違うのだから
いろんなレベルの宗教があっていい
 

 
しかし、霊物には妖怪も魔物も含まれ、神も精霊も守護霊も含まれる世界なのだから
天地に差があり過ぎるのが霊界というものよ。
やけん宗教なのに、ま逆の教えというのが発生する。


 
よって、自分の霊体レベルにより、どの教えを学べば自分のレベルに合うのか、という話である。
 

 
あんまりにも霊体が弱いと、輸血というものをせん方がええ人もおるろう
それは輸血はダメです!ってゆう教えの宗教でええと思うがよ。
 

 
じゃあ、親はダメやけと子もダメかってゆうたら、霊体が違う分、子は輸血が大丈夫な場合がある。
やけん子が事故にあっても、命を優先して輸血したらええ事やちある。
 
 
霊体というのが一番物資と連動しているのが血液なのだ

 
この霊体には本人の因果の記憶と性格の質がインプットされている


 
輸血とは相手の霊体が自分の身体に融合することでもある
まあ、因果の受け渡しに多少なるということだ。
それをいかんとして、宗教はどんな言い方で信者に伝えているのかは知らん。
純血じゃなくなるだの、神にお仕えできんなるだのと言うたがやろうかね。
純血じゃない肉体が使えん神とはひ弱なもんよね。
不純物でも堂々と扱えるのが本来の神様というもんよ。
不純物より扱えんのが霊体の低級性のやつやけんね。


神様がこう言ったからダメじゃダメじゃと宗教はゆうけど
ダメダメ言いよったちいかん事があるがやけん、その時は神様側が頑張らんといかんことながちや。
神様に合わせてダメじゃダメじゃと言いよる時代ではない。
やけん神様やち実力持ちやないといかんと思うがよ。
 


しかし話は戻って、血液は普通輸血されても3ヶ月で古いものは処理されて新しく身体の中で作られている
霊体だって本体から切り離されれば薄れて消える。
因果の影響を受けるというても、輸血される本人の方が輸血からくる霊体より強いのだから、然程影響はないだろう。


動物の血を輸血したのですがと言われたらふざけんなよって思うけど
あれは4本足やけん霊体から論外じゃろうがって話しよ。


  
輸血よりもヤバイのが内蔵の提供よね。
内蔵丸ごともっていったら本人の霊体もそりゃあ乗っちょらあ。
しかも内蔵分霊体が相手にいくのだから、多少の記憶も受け継がれる。
まあ、普通受け継がれても臓器をもろうた本人の方が強いけどね。

 
 
因みに霊体って、知らんろうけど内蔵一つ一つ担当する霊体が違う


言い方が悪いか、
霊体は一人につき一つやけど、内蔵の部分を担当する神様が各々とおるって事よ。

  
 
肝臓を担当する霊的なもの
心臓を担当する霊的なもの
腎臓を担当する霊的なもの
小さいものは循環器として扱うけど、大きい内蔵にはそれぞれの担当がおるで。
 
 

 
観音様の曼荼羅の立ち位置やち、人間の内蔵に当てはめた循環器の動きで動きよると思うよ。


 
身体を作る時に先に霊界の神様の位置を整えて、それで動く身体の仕組みが、目が2つ耳が2つ手足は指が10本とかながやけん


普通身体の造りをみたら霊界が見えるもんながってね。
 

 
ってことを、霊界の神様の次元の位置をみよったら、肉体の循環器の動く流れやんかってことがよくわかる。
 

 
心臓殺られる時には心臓担当が喋るしね。
 
 

 
精神や悩みごとの内容って大事ながって
悩みの内容で気の種類が変わるけん、その気がどの内蔵に直結しているかが普通特定できる。
 

 
たまに、あんた心臓悪いやろ、肝臓悪いやろってうちは人に言うたりするけど、その人の性質や性格や悩みごとでどこの病気を人生でなるかわかる。
わかったところで、助けてやることはできん。
それは宿命なのだろうから
宿命を変えるとは先祖から変えるということ、それは後々の子孫にも影響すること。
滅多なことは言われんしせられんと思うわ。

 
 
やけん病気は気からというがよ。
やけど、その気は霊体の性質から起きている性格の気だから、変えれんのじゃ。
よっぽどの事がない限り。
だからわざと宿命といっている。
やけど、死んだら霊体と魂が分かれて霊体を脱げるから、やめれるんじゃその性格を。
やけん死なんと直らんとよく昔の人はゆう。
 
  
 
その気になれば、宿命でさえもどうにでもできる神様がおったとしよう。
それは力が強いのではなく、その因果を作った人類の元祖の祖先である場合ながよ。
まあ、人の文化ができてから時代に出てきた事がないなら、そんなもん人は知らんわね。
 
   
  
この世は因果でできているからねえ。
 
  
 
因みに霊体が強いかどうかは、道理道徳常識をどれ程咀嚼し、ちゃんと生きているかの能力と力で大体見る事ができる。
まあ、子供なら道理道徳はわからんでも、元気で健やかで静かでもちゃんとした明るさがあるかってところを見るわね。
 
 
 
 
ブログ書きよって思うけど
そこらの霊的な本より内容濃いと思うけど。