仏教と多宗教 | 『真理と道理・人と神』

『真理と道理・人と神』

あの世とこの世のことから人の心や魂や家系の先祖、そこからの道理と常識の大切さを書いています
また先祖や神からの気付きや言いたいこと乗せてます

仏教の話しながやけど如来と菩薩と明王とつくものに分かれていろいろおる。


菩薩なら弥勒菩薩、観音菩薩、地蔵菩薩

如来なら大日如来、釈迦如来、阿弥陀如来

明王なら不動明王、愛染明王、金剛夜叉明王


と適当にいうとこう言うものがおる
如来、菩薩、明王と最後につくものと、もう一つ天部というて最後に天がつくものがおるがよね


弁財天、大黒天、毘沙門天とかね。
うち大概細かいことは面倒やけん無視するがやけどね


菩薩とつくものはお釈迦様が修行中で王子やった頃を表しているから、冠や首輪やイヤリングと備品をつけた姿形をしちょるんやってさ(゜▽゜*)


如来は釈迦が悟って王子という人の域を超えたけん備品なしの布一枚ながやってさ


明王というもんはこの如来の化身で人を救うがに必死になっておるけん物凄い形相ながやとー
いかんことはいかん!って言わないかんけん如来や菩薩は蓮の花の上におるのに対して明王は岩の上におるのがモチーフながとー
悪い事は悪いとガンとして動かれんけんね。


天部はインドの神様の分裂したやつなんやってー



うちいろんなもんと関わってきたわ
普通に考えたら菩薩から如来、如来から明王というのは人の精神段階の話ながよね


誰やち通る道よ


人生いろいろあって自分のどうにもならんことから悟って
人を変えろうとするより自分が変わった方が早いとか知って菩薩になっちゃって
そんなことを思いよったらこの世に真の意味での間違いはないとか気づいちゃって如来になって
やけどそうやとしても草木ではなく人としての魂が生きるなら悪い事をしては幸せになれないと思い至って明王に変身して。


そういうことよ。
それって、親が子育てしたら、そんな流れに勝手になるろ


子供って親の思い通りにはならんし、なら親が子供理解して、いろんなことを歩み合わせて教えていくしかないと諦めるし、そしたら大したこと以外の本当の悪い事はいかんと言わないかんことになるし。


大なり小なり自分の中で菩薩と如来と明王は繰り返されて成長するのが人間というもんやろう


神様の価値の位置付けの話ではなくて、神様の性質の話よ。



この神様らはね、皆力が違うがよね
邪を倒したければ、勝負に勝ちたければ、不動明王を

病気を治したければ、薬師如来をというように


この菩薩や如来や明王はね、肉体一つを生かすある一つのエネルギーが、個々に分裂して姿を成したモノ、と思えばええ


分裂した方が、その力のみの動きをするけん効き目が早いがよ
速効性がある


人はその人の人生からの想いの種類でどの神様に繋がるか違う
因縁というのは、現在の自分の価値観や考え方や意志でもあるがよねー


とにかくなにが言いたいかと言えばね、沢山の想いを持っていれば、身一つでどの菩薩にもどの如来にもどの明王にでも成れる


神と言うものは気でありエネルギーやけんね


人が不幸になる時、必ずある種のエネルギーの欠如がある。
そのエネルギーを補う事で、病や災難や運命の改善は成される。
仏教の神々はその人に欠如している気の種類に応じて分かれておるだけよ


やけどこれらは元たった一人の存在ながで。
一人?ではなく一つのエネルギー体なが。


ほんでね、この元の一つのエネルギー体は伊勢神宮の外宮にある。


あそこは生命根源のエネルギーやけんね


やけど、命とは使うモノよ
あそこで補充しても常に日常いろんな理由で欠如していく
やけん神社に定期的に行くことは気の補充になる
けど、誰も行けんだろ
地元人やなかったら。


真理とはね、宇宙根源の気であり、人間の生命のエネルギー体の話であり、外宮にある気を文章にしたのが真理というだけの事よ。


宇宙を動かす気を言葉にすること自体無理な話で、理屈ではない分人の真理への解釈が統一することはない。


ただ、頭でわからんでもかまんけん、有り難いものながやなー、生きるって凄いでねって思うちょったらええがよ


生命の神秘を追求して答えが出るのはこの世ではなく自分の中だけやけんね。


やけん真理を知るとは気の補充と考えたらええ。


霊力もつくし、智恵も増えるし、下手なことをせんならえ。
終わる命も長引くろうよ


でも一番はね、神様が降りてくる神体になっておる人と関わるとええよ
たまにおるがよね、神様がプーーと降りてきてヨリシロみたいにされる人が
身体って、本当は神体というらしいけんね




いやー
結局、話がまとまらんかったね。




やけんうちらは、神道が!仏教が!ユダヤ教が!キリストが!という社会にある組織から考えよるがやなくて
本元のエネルギー体からその宗教を理解しよるけん、ユダヤになったらキリストにもなり神道をいいよるかと思うたら仏教を言い出したりするがよ。


お経がどうのこうの、祝詞がどうのこうの、ということは知らんけんそこが重要なら、専門のえらい人に聞いたらええがやけどね


述べる部分に対してとても適切な表現をしているモノを使うけん、宗教にこだわってない


結局一つの話しの多様化やけんね


いやー終わらすところ間違えた(笑)