人に伝わるのは体験したものだけ | 『真理と道理・人と神』

『真理と道理・人と神』

あの世とこの世のことから人の心や魂や家系の先祖、そこからの道理と常識の大切さを書いています
また先祖や神からの気付きや言いたいこと乗せてます

うち人の言葉を聞いただけで人生で体験してから本当に心から言いよるがか、わかってないにわかったフリしてモノを喋りよるかがわかる


やけん人の述べる道理や常識ってほとんどうちこの世の人の言うこと聞かん


なんかねー正しいことだけでは世の中きちんとした判断はできんがね

正義だけを知っていたら、悪人は殺せばええと簡単にいうろうよ

それじゃあいかんのよ


いじめがあったら必ずいじめた奴を悪いというだろう
じゃあなぜそいつはいじめをする心を持っているのか、まで考えにゃならん

心がすさんでなければ人をいじめたりはせんよ


家庭内でそんな子供は抑圧されとるのよ

それをいじめにて発散する

いじめた側は親のいじめに合っていて、学校では加害者だが、家庭では被害者なのだよ


物事の根本を見る目を養わなければならんよ


いじめられる側にも問題がある
積極性のなさは家庭内でどういう育てかたをされとるのかね
可愛がられながら親のエゴにて守られ本当の子の意志を理解されとらんのではないかね


どちらにも共通することは誰かの被害者であるということよね


これが見えるようになるには、どちらも体験しなくてはならんな


どちらかではいかん、両方を体験してこそなぜそうなったかがわかる


私は学校のいじめに関してはないけどね
他でかましあいをしてきた



モノを喋る時ね、片方しか知らんのに喋られたら私と会話にズレがでて話にならんのよ

正義だけ唱えられてもこの世は正義だけではおさまらんじゃないか


やけんねえ、好き勝手楽しく生きた人間がある日ある時奈落の底に落ちて光と闇を体験して両方を知ったなら、私はそいつと話をしたい

その前に自殺をするような者は無理だがねえ


光と闇を知ってこそ正しく判断ができるのだよ


間違った事をしたからあいつは悪だなどとその時だけをみて捉える視野より、なぜそうする必要があったかと考えが巡らせる



悩んで深く考えないかん問題はさぞかし苦しかろうよ
やけどそのお蔭で自分の決意から答えを導き出し揺るぎない信念とともに人に伝える事ができる


本当にいろんな目におうた人って何も言わず静かにしたたかに生きるけんうちは見落とすがやけど

あきらかにやかましく偉そうな奴は目立って口先だけとわかるけん見よって不愉快な



でもブログ書きよって思うがよね
ここでブリブリ言えるほどの体験しかしてないがやないかなーって
つまりあんまり大変な事体験してないがやないか自分って思う(笑)


でも本当に大変やった、気がする。







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