※この物語はフィクションです。

 学校に行ったら、上履きにイタズラされていることはざらだった。
 虫や画びょうが入れられているくらいならまだマシなほう。悪い時には隠されたり、油性ペンで落書きされてたりもする。探すのも洗うのも手間だからほどほどにして欲しい。
 教室に向かう途中の廊下では足を引っかけられ、階段でもわざとぶつかられる。でも、それらは僕が転んで嗤われる程度で済むから楽だった。
 気配を消して教室に入り、落書きで悲惨なことになっている自分の机に足を運ぶ。
 黒や赤の油性ペンでデカデカと書かれた『バカ』『死ね』『学校来んな』『気持ち悪いんだよ』など数々の暴言と、小学校低学年みたいな下品な絵。
 この落書き、いつからあるやつだっけ。
 担任はいい加減気付いているだろうに、何もしようとはしない。見て見ぬふりだ。せめて机を取り替えるくらいはしてくれてもいいと思う。
 椅子の上、机の中に画びょうやカッターの刃がないことを確認して席に着けば、後ろから何度も椅子を蹴られた。何が楽しいのか、ゲラゲラと笑う声。
 僕は無心でやり過ごす。
 しばらくしてチャイムが鳴り、生え際が後退を始めている担任が入ってきた。
 僕の席を一瞥し、出席してることに安堵してからはわざとらしい程こちらを見なくなる。授業の時でさえ、僕のことはほとんどいないみたいに扱う人だった。
 何がなんでもいじめの相談を受けたくないんだろうな。もとからするつもりもないけど。

 この教室内に、僕の味方は誰一人いなかった。ただの一人も。
 それでも僕は、何も気にならなかった。
 いや、厳密には違う。ものをダメにされたら怒りを覚えるし、暗いところに閉じ込められるのは怖いし、殴られれば痛い。暴言を吐かれたり、無視されたりするのも嫌な気持ちになる。
 だけど、それだけ。ご飯を食べてゲームして寝てしまえば、たいていの事はただの過去になる。
 どうして僕がこんな目に、と苛立ちを覚えることはあっても、精神を病んだりとか死にたいだとか、そんな風に思いつめることはなかった。
 たぶん、僕のそういうところが一段と彼らの気に障るんだろう。僕は|普通じゃない《・・・・・・》らしいから。
 漫画やアニメの中では、いじめられっ子っていうのはもっとこう、弱々しくて大人しくて従順そうな感じだし。
 少なくとも、落書きまみれの机をわざわざ先生たちから隠して授業を受けたりしないだろうし、びしょ濡れのジャージで平然と体育の授業を受けたりもしないし、消しカスやホコリの入れられた給食を黙々と食べたりもしないんだと思う。

 昼休み、校舎裏に呼び出された。大人しく指定の場所に向かえば、不意に後ろから突き飛ばされた。
 間髪入れず、別の生徒にお腹を蹴られて息が詰まる。 
 罵声を浴びせながら、ストレス発散とばかりに何度も暴力を振るうクラスメイトたち。アザになっても目立たないところをいつも重点的に狙われた。
 せっかくの休み時間なんだから、集団でリンチするより別のことをすればいいのにと考えながら耐え抜く。
 昼休みも終わる頃、ようやく解放されるのがお決まりのパターンだった。
 突き飛ばされた時に運悪く捻ったらしい右足をかばいながら教室のある二階まで戻り、予鈴までトイレで過ごす。
 個室でやっと一息ついていたら、女子たちの甲高い笑い声と共に、頭上から物凄い量の水が降り注いだ。
 毎度毎度、よく飽きもせずにいじめる準備をするもんだなぁといっそ感心してしまう。
「あははっ、やめてあげなよぉ。カワイソーじゃん」
「さすがに泣いちゃうんじゃなーい?」
「え〜? じゃあ|椛《もみじ》ぃ、優しいアタシが拭いたげるから出てきなよ~」
「やっだ、あんたそれ雑巾じゃん! きゃはは!」
 ひとしきり騒いだクラスメイトたちは、僕の反応が芳しくないことに激高し、悪態をついてトイレを出ていった。
 ポケットに入れていたハンカチで顔や髪を拭い、水びたしになった床をモップで綺麗にする。
 捻った右足がズキズキと痛んだ。

 今日は水難の日だった。
 下校する時にはホースから出た水が直撃したし、そのあとには校門近くの水たまりに突き飛ばされもした。
 夕立に降られたみたいに全身びしょ濡れなうえ、下半身やリュックは泥まみれ。「ドブネズミみたい」と嗤われた。
 こんな姿を桜に見られて面倒事になる前に、そそくさと逃げ帰る。
 冷たい風が吹きつけて、ぶるりと身震いをした。
「奏夜! 今日も派手にやられてんな~」
「|音依路《ねいろ》伯父さん」
「おう。今日もうち寄ってくだろ?」
「……うん」
 人気の少ない小道に入ったところで、伯父が待っていた。僕を心配して迎えにきてくれたのかもしれない。
 彼は僕がいじめられていることを知っている唯一の味方。両親や桜にバレないよう協力もしてくれている。汚されたジャージや制服を洗濯をさせてくれたり、破かれた教科書代を代わりに支払ってくれたり……とにかくものすごくお世話になっていた。
 僕は僕に出来る限りの対価として、伯父の家の家事全般を手伝わせてもらっている。
「とりあえず、ほら。そんままじゃ風邪引くからこれ着とけ」
「うん」
「帰ったら洗濯だなぁ。あ、俺は出来ねーからおまえ自分でやれよ?」
「うん。音依路さんの洗濯物もついでに洗うよ」
 助かる、と言って伯父は笑った。

 伯父の家で服を着替えて、一通りの家事を済ませる。
 そして新作のゲームで遊ばせてもらう頃には、今日受けた仕打ちなんてどうでも良くなっていた。
 殴られたところも捻った足首もまだ痛いけど、耐えられないほどではない。湿布も貼ったし。
 そんな話を伯父にすると「おまえは強い子だなぁ」と頭を撫でられた。
「……僕が強かったら、そもそもこんなことされてないよ」
「そいつらにはおまえの強さが見えてないんだろ」
「うーん?」
 伯父はたまによく分からないことを言う。ばかな僕にも分かるように噛み砕いて話してほしい。
 首を捻る僕に、伯父はコントローラーを置いて向き合った。真剣な表情をしている。
「でもな、奏夜。おまえは確かに強いけど、それでも人間いつかは限界が来る。そん時は迷わず逃げろ。で、誰かを頼れ」
「うん……」
 改めて言われるまでもなく、僕はもうすでに両親や桜たちから逃げて、音依路さんを頼ってしまっている。そんな僕が強いわけがない。むしろ弱いくらいだ。
 とりあえずで生返事をした僕の頭をわしゃわしゃと撫で回し、「まあ、今はまだ分からなくてもいいか」と呟くと、伯父はあっさりゲームを再開した。
 僕はゲームの内容に気を取られ、今の話をすぐに頭の片隅へと追いやってしまった。

 月日が流れて高校生になっても、いじめが終わることは無かった。
 すぐバレるような派手な行為は減ったけど、より狡猾にズル賢く陥れようとしてくる。
 クラスラインでハブられ、SNSでは無意味に素顔や名前が晒された。
 でも僕は相も変わらず、それら全てがどうでもよくて。そんなことよりも、ソシャゲで推しのイベントをどれだけ走れるかということの方がよっぽど重要だった。
「たしかにこんなのは普通のいじめられっ子、では無いわなぁ」
 スマホでソシャゲのイベントを走りながら、そう自嘲的に独りごちた。



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自分に向けられる悪意や害意への興味をあっさりなくしてしまう奏夜の異常性のお話でした。

これは「強くならなきゃ」と奏夜なりに考えた結果であり、記憶を失う前のソウヤの考え方でもあります。そしてそこに輪をかけてゲームや漫画などで現実逃避をして、自分に起こる出来事を全部他人事のように処理しているから、こんな感じなんですね。

彼女の考える「強さ」とは目立つことなく、いじめられもしない〝凡〟であること。
精神は折れないし、なんでもひとりで解決してしまうスーパーヒーローみたいな力を「強さ」だと思ってるので、一生そんな強さを手に入れることはないんですよね……。