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1丁目住人のブログ

一人一人が楽しく生きるためのブログ。

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20121117/t10013569791000.html

NHKの単独取材のようだが、20ヶ月ぶりに福島第二原発付近の去年3月16日の放射線量の隠蔽されたと思われるデータが見つかったそうだ。今日の午後7時に公表されたものとはいえ、他のメディアでもまだ取り上げられていなく、あまり大騒ぎされていないことが、とても不思議である。そのうち海外のメディアが食いつくかもしれない。

福島第二原発からは放射能は漏れていないことが確認されているが、付近のモニターで、一時的に高い放射線量が確認されたのである。当日は南風が吹いていた。つまり、第一原発から漏れた超高度な放射線が風にのり、南方に拡散されたということになる。

明らかな事実隠蔽であるが、もうみんな原発の話は聞きたくない?そんなムードも感じる、20ヶ月後という、事件が人々の頭の中で風化しかけているときに出てくるので呆然としてしまう。

しかしながら、さすがに東京電力の管轄内だけでの隠蔽であろうから、その隠されていた高い放射線量の事実を、他県の自治体や教育機関などが保有している各所にあるモニターまでは同じように欺けないであろうと思われる。よって、福島県の原発付近以外の日本に住んでいる僕らの被ばく量はさほど昨年公表された数値と変わらないと考えるのが妥当と考える。

この報道についてどうやって見るか、ということが肝心であるが、要は、「第一原発の三号機の白煙」という不可解な事象の正体を関係者は知っていた、もしくは、察しがついており、それを当時公表するのが不都合であったので、それに紐づく情報を伏せたというところではないだろうか。

ちなみに、この「第一原発の三号機の白煙」は黒煙とも水蒸気爆発?とも言われており、この三号機のみ、MOX燃料の核廃棄物を使用済み核燃料プールに保管するという、プルサーマル運転をしていたことは、既に公表済みの事実である。

生活も食べ物も仕事も情報も資産運用もコミュニティも、受け身に慣れすぎていた多くの日本人にとっては、つくづく生きづらい世の中かもしれないが、前回のように、ほとんど誰もが原発に対して素人だろうがなんだろうが、出来事は突然やって来るのだし、自力でその場で情報を解析し、自ら責任をとって判断しなくてはいけないのである。とても不思議なことに、一部の声を荒げている受け身な人たちは、自分たちは変わろうとしないのに、他人や社会や政治家に変われと言うのである。もはや東京電力や国の監督のあり方を今更、叩いても何にもならないのだ。

多くの日本人にとって、代償の大きすぎた悲劇だったが、これが授業料であると努力して割り切り、神から選ばれて試されているのだと、そうプラスに解釈して進むのが何事も吉だと考える。サンクコスト(埋没費用)の大きさに意識と思考を奪われ、前に進めない人たちがたくさんいるのを知っているが、本当に助けが必要な人以外は、自己の身を守り他人をも助けられるよう、もっと”タフな個”とならなくてはいけないのだ。「危機」とは、「危険」を意味するdangerと「機会」を表すopportunityの二つの意味を合わせた漢字であるが、真によく考えられた漢字であると、先祖を褒め称えたくなるものである。
本当にわらしべ長者の話のようだが、ファンド業界で日本一のアナリストと誰もが呼ぶ方からいきなり電話があり、友人(大学院教授)から僕の職務履歴書を見せてもらい、話を聞いたとのことで、20分くらい話した後、忙しい合間をぬってくださり、お会いすることになった。

僕はその時、スターバックスでアイスコーヒーを飲んでいたのだが、受話器ごしに、取った電話の相手を認識し、かなり恐縮しながら、簡単に自己紹介をした。

今後その方の直下で働くことになると思うのだが、これは金融業未経験者の僕にとって、欧米の一流のMBAを取ることより価値があることである。

最近、超がつくほとの大物とお会いしている最近・・・ どうなってしまうのだろうか? 僕のまわりには各方面での有名人の登場が激しく、このひっそりとやっているブログでも書けないことが多過ぎになってきてしまった。

そのうちもっとオフィシャルな感じで情報公開をしてゆくべきかも。なにせ、自分一人で持っているにはもったいない話ばかりなので。。

僕の株価がファンダメンタルズから乖離し、実態を伴わない価値のインフレーションを起こしているのであれば、緩やかにランディングしてゆく必要がある。

本当に僕の持っているコアバリューが正当に評価されているのであれば、非常に誉れ高いことなのだが、なんせ本人の合点がいっていない(笑)

決して自慢を言いたいがために書いているわけではないのだが、みなさん、僕の感性とそれに伴う行動力が独特で面白いと言って下さるのだが、僕がそれまで思い描いていた、外資の金融業のフロントで働く条件:帰国子女並みの英語力&頭脳明晰さ、は必ずしも必要ないみたいだ。

理論や定量分析による予測ではなく、経済を感性で読み解く時代になるのだろうか。仮にそうだとして、僕はそんな大それたものを背負う覚悟も何もないのだが、今まで渇望しており、そして今になって与えられたチャンスにただただ、誠意に応えてゆきたいと思う。

自分のためより、他人のため。そのキレイゴトを、一切自己犠牲臭を出さずに、さわやかにやり遂げることは、カッコいいではないか。それが僕の考える誠意のエッセンスだ。

今時、私腹を肥やすのはかっこ悪く、例えるならばそれは、濁った溜池のようなものだ。水を循環させるかのごとく、与えられたものを手放し、リレーしてゆかないといけない。美しさと心地よさを保つために。ストックではなくフローの美学。豊かさとは本来、風のように自分を吹き抜ける心地よさのようなものではないかと。

万が一、僕が金融で成功したとしても、金銭感覚が狂って、金使ってナンボみたいな、腐った人間にはなりたくないなあ。お金が美しく流れる、循環モデルを作ってゆきたいと思うのである。

えらそーに書いて、すみません、
悩みとされるものの約半分以上が、人間関係にまつわるものだとよく言われる。

僕はまさに、二大巨塔とも言うべき、社会的なステータスがとってもある、年上のAとBという2人の人物に挟まれ、それぞれから相談を受けているのである(笑)

多くの人はネガティブに捉えるかもしれないが、僕はよく挟まれやすいようで、こういうことは慣れっこなのだ。

AとBという二つのインジケーターに挟まれ、互いの言い分を聴き、事実を擦り合わせ、妥当性を比較して、より精度の高いCというオリジナルのインジケーターをぐるぐる考えて作ることになる。

こういうものは、感情が誤解と共に絡まっているものなので、妥協点を探して互いのアクセプタブルなところまで持ってゆくやり方ではなく、互いが受け入れることができる正しい認識を、作り上げることが大事だ。誤解を解き、その上で、くっつくならくっつく、離れるなら離れるで、適正な処置を冷静になって取れば良い。

もちろん、間に挟まれることは面倒でうんざりなことかもしれないけど、判断力を研ぎ澄ませる絶好鍛錬になるのだ 。

AとBが精度の高いインジケーターであればあるほど、同時にそれらを反証できる機会に恵まれる。これは、絶対に自分一人ではできないことだ。

そう言い聞かせて、がんばるのだ。

10月26日、成田空港にて。雑感。

日本が「失われた20年」に突入していると言われている昨今、他の先進諸国も経済成長が失速し、各国がゼロ金利政策をとり、一斉にジャパニゼーションが始まってきている。
いまこそ世界同時に、生き方の変容が求められている。

大きなシステムに身を委ね、服従する時代はもう終わったし、心理的なひと時の虚構の心地よさを与えてくれるブランドやファッションだけでは豊かになれないことを、それまでブランド消費額世界一だった、多くの日本人が悟った。

何にお金を使ったら気持ちよくなれるのか、楽しくなれるのか、迷っている上に、給与が伸びなく、税金も変わらず取られるし、世の中物騒だし、取り敢えず貯金、ってことでお金が循環しない。

一部の人々はうっすらわかり出してきているのではないか。与えられたものに満足仕切るという肩身の狭い生き方や、今見えている幸せを胸に抱いてこじんまりとやり過ごす日々では、長い人生やり切れないということを。

僕は今の時代を生きるにあたって、以下のことを守ると、心にきめている。

【徹底的に己と向き合うこと】
個人で、意思を育み、行動を起こし、感じ、楽しむ。すると勝手に、広まるのだ。

例えば思い切って好きなことしかやらない。一見、了見の狭い人間となりそうだか、己の理想や願望をクリアにしてあげて、まず自身の心が満たされれば、他人への想像力も湧き、寛容になるというものだ。順番を間違ってはいけなき。

【捨てること】
個人が心を豊かにすることにおいて、所有などは必ずしも必要ではないと若者は最早信じ切っているふしがある。

物理の法則通り、何かを持つと、何かを持てなくなるのだ。何かに行き詰まったり、変われない自分に苛立つのだったら、まず何を捨てることだ。モノ、習慣、交友関係。ストックを減らし、フローを良くする。

【情報スリム】
情報はカロリーと同じ。不足だから摂取する。不足でなければ摂取しない。運動しないくせに、やたら情報を取ろうとするやつがいる。情報デブ。極端な話、困っていなければ情報なんて要らない。

現代人がとれだけ情報に左右された時間を過ごし、情報を得るために時間とお金を使って努力しているか。いかに情報を持たなくしながらにして、目的を達成できるか、が今後の人類の課題かもしれない。

【個人のつながり】
政治や役所が世の中を動かす時代は既に終わりを告げた。確かに彼らが社会を動かす大きなスイッチを持っている。しかし、本当に思い腰を動かすのは、ムーブメントができ、じっくり効果が検証されたものだけだ。だから、彼らとつるんでいても、新しいことはできない。

僕は、世の中の情熱に満ちた個人の繋がりで、世の中のためのプロジェクトを立ち上げて、人生をかけて推進してゆきたいとおもっている。そして、それができつつある今に、感謝しかない。

僕にも他に家族の問題とか、色々あるのだが、それしかないと思っているし、何より、僕にとって一番楽しい道なのだし、覚悟してやっていくしかない。と思うのだ。
前職のお客さんと、田町の倶楽湾にてお食事。進路の報告と出版業の相談。
こうやって仕事を離れても仲良くしてもらっていることは、非常に嬉しいことだ。

現在はアマゾン一筋でやっていて、世界一の販売量を達成した企業として表彰されるくらいになっているのだが、10年前に既存の流通を全て切ったとき、流通から総スカンを食らって、3年間食えなかったという。しかし、しがらみがない今の我々の状況だったら、アマゾンだけでやるのが一番ベストだ、ということであった。

どの人がどのように繋がるかわからないものだ。

ちなみに、今週からまた上海である。

自分たちだけが豊かになってもつまらない。いかに恩をさわやかに返してゆくか。そういうことを早くやってゆきたいと思う。