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1丁目住人のブログ

一人一人が楽しく生きるためのブログ。

このところ本当にすごい人たちに会いすぎている日々。しかも一対一で。

先週は金融界を代表する超大物と。今日も超一流のファンド出身のベンチャーキャピタリストにホテルオークラで会った。明日は某ファンド社長と面談。

色んな人の意見を聞きながら、咀嚼して、固め直して、進路を決めてゆく。

その人たちが僕に持ってくれた印象は大事で、その業界の第一線を形成している人たちから見て、どこにこのピースがハマるかフィードバックをもらうことは、かなり信頼がおける情報である。

ただ本当に気をつけなくてはいけないことは、偽物がたくさんいるということ。その人たちにチャンスを潰されないことだ。僕も某有名キャリアコンサルタントにあやうく騙されそうになった。

偽物を見分ける目と同時に、どれだけその信念が不動のものなのか、試されている。

最終的にどこで、最も自分らしいポジションを取るか。流されず、でも時に意固地にならず流されてみて、ふわっと考える。

形のキャリアなんて固執するものではないとは思うが、選んだ道での結果には固執するべきだと思う。がゆえの、検討期間だ。

迷いはない。決めるための段取りを作って、あとは淡々と決めてゆくのみだ。

自分の情熱に従って決断していって、心底納得するソレを、探求し続けること。その答えは自分しか知らないし、そもそも、その質問をすることもしないことも、本人に託されている。

時にそれは、常識やマナーに反するものかもしれない。友人や周囲の理解が得られないかもしれない。しかし、そんなのを気にせず、胆力をつけて、貫くこと。

法律さえ反さなければいいくらいの気持ちで。

さて、明日もがんばろう。
高校の時から付き合いのある友人と会った。学生の頃から事業をやっている立派なやつである。昔から色んなとこに行ったり、色んなことを話し合った仲だ。

彼は何でも人並み以上に抜群にできるのに、思慮深すぎるせいか、独立心が強過ぎるせいか、容易に満足感を味わえず、「これで良いのか?もっと良い方法があるのではないか?」と焦り、共に悩みやモヤモヤ感を常に感じながらも、前へ前へと進んできた。

そういうメンタルの自己鍛錬を積んできたことで、モヤモヤの中で生き抜くタフネスと今を楽しむチカラが身についてきた。これはこういう気質だからこその、果実である。

イージーゴーイングでやってきて、これからもそういうスタンスで生きていくつもりの人には関係ないのかもしれないが、こういう下地があると、人にアドバイスできるようだ。なぜなら、本人が先回りして考えて実践してきたことでもあるので。

時には、「お前は根暗だ」なんて、バカにされるかもしれないが、そういう人にはきちんと修行を終えたら、そういうステージが用意されている。世の中でハンディキャップと言われるものも、同じであると思う。ちゃんと向き合って、努力すれば、それをプラスに転化できる。

最近、高校生と絡むようになり、他人や世の中の基準に合わせずに、自分と向き合うこと、また正しい努力を地道にしてゆくことを、後進に伝えてゆかなくてはいけないことを感じてきた。

ポジティブかネガティブか、左か右かというのは、物事の陰陽の問題で、たえずどのスタンスを取るかというのは、極の移動のように、移り変わるべきものである。形に囚われて、右往左往してはいけない。

必要なことは、陰陽を両方味わい(酸いも甘いも味わい)、そのバランスをとる知恵を蓄え、人に頼らず自分の力で哲学して生きていくこと。そんなメンタルがタフな人が増えれば、少しはマシな世の中になるだろう。急がば回れで、ショートカットはしない。

どのフィールドに立とうと、僕のできる限りのことはやっていこうと誓ったのであった。
ニュースでみたが、これはかなり恐ろしい。死者こそ出なかったものの、負傷者1,000人。恐ロシア。

推定直径が数メートルの隕石で、地球の地面に衝突した時には数十センチで、この被害である。

まあかなり当てずっぽうな推定方法ではあるが、地球の人口60億人が負傷するにはどのくらいの隕石の大きさが必要であろうか。以下の二次関数で考えてみよう。尚、今回の直径は3メートルとする。

y=ax²  (x=隕石の直径 y =負傷者数 a=爆発による被害の変数 とする)

①1,000 = 3*3*a
②6,000,000,000 = x*x*a

①と②で代入して解くと、
a=111.1
x=7348.8

つまり、直径7キロの隕石が墜落することで、地球総人口が負傷する計算となる。

(※実際には、このサイズでの同様の爆発の影響で全地球に広がるダメージになるとは考えにくい。比較的浅い被害が広域に広がるのではなく、ある特定の地域のみが甚大な被害を被ることが予想される。さらに、そのくらいの規模だと、今度は海面に落ちた場合は津波が発生し、それが原因で二次災害が起こることが考えられるため、新たな変数が必要)

結論としては、宇宙のほんの些細な采配により、いとも簡単に人類が壊滅的なダメージを受けうること。つまり、宇宙や自然の法則には逆らえないということを再確認した格好だ。

神に期待したり、すがったりするのではなく、神の存在(=人智の及ばない力)を受け入れ、謙虚な気持ちを持って日々生きようというメッセージを僕は受け取ることにした。

まあとにかく、死者が出なくて良かった。
この1年間というもの、自分が生きる道を発見し、猛烈に自分の道を取り戻している状態。横にひろげまくってから縦をのばす段階だった。

現在は語学以外の勉強を久しぶりにやっているのだが、やはり問題を数学を使って解くのが好きなようだ。ファイナンス。数式の答えは一つしかなく、その正解とそれ以外である間違いのみが存在する。

抽象化したモデルを色んな物事にあてはめて考えることで、光明がさすことは多い。問題となるのは、たとえばアメリカ式のROE至上主義やら時価会計やら、モデルを濫用すること。つまり用法用量を間違えてしまうこと。経済や経営学的なモデルは学者にお任せするとして、その周辺社会に合わせた最適な事業のモデルを僕はずっと創りたいと思っていて、ありがたいことに、少しずつだけれど、サポーターがついてくれたり、思いや出会いが形になろうとしている。

ハナから社会や実態が複雑であるとした上で、色々な観点から問題点や妥当点を探っていく僕が過去に専攻していた法律の世界というのは、そういった観点から、性に合わなかった。それは僕が求めていたクリエイティビティではなかった。ただし、何事にも論理と根拠で物事を決定してゆくことは万国共通のルールなのであって、そのような世界を垣間みたことと、トレーニングできたことは大きなプラスとなっている。

そんな中、やっと内的に安定してダッシュできている状態で、今年30歳という大台にのることは、1年間のプー生活によって預貯金がほとんどなくたって、ひとまず精神的に安心である。笑 そしてこの30歳という通過儀礼は20歳と同じように、精神的なイベントだろうなと思う。気持ちによって風邪が悪化するように、人の内面である精神などが、その人の外見を規定することがある。本当は人の寿命はまちまちなのだし、その年齢に到達しようがしまいが、あまり気にすることはないと思うのだけれど。

僕は30歳でも40歳でも50歳でも人生はやりなおせると思うが、実際のところ、体力や気力というファクター以外に、周囲からの評価というファクター(もう30歳なのだから落ち着いたほうが・・etc)が本人にボディブローのように影響を与え、やり直しがききにくくなるということが多いのではないだろうか。そういうファクターが強い場所から遠ざかるということも考えられるが、環境を変えるのにも、年齢に比して色々と手間とコストがかかる。

畢竟、僕は僕なりの生き方しかできないわけだし、このような小さい存在で何ができるかというのを追い求めていくしかない。その内容とプロセスの円熟なくして、僕にとっては結婚などもあり得ないわけだし、生涯一人でもいいや的なことも考えたりしている。昔も今もこれからも、縁は神様にお預けだ。

自分の人生に対しての覚悟は備わった訳なのだし、あとは楽しんで努力をしてゆくことかなと思う。

特に今回の投稿で伝えたいことなどないが、現時点の自分の考えの杭を埋め込んでおきたかったから、こんなことを書いてみた。もともと他人を意識するブログでもないが、こういった、半パブリックな場所で、このような”ゆるい決意”のようなものを書くことは、まず本人の生き方形成にとってとても有意義なことであると思っている。そしてそれを読んでくれた人の中で、自分に置き換えることで、自己との対話が進んだりして有意義なものになってくれた人がたまにいればいい。このブログの価値は、そんな程度に思っている。本音の中にその人にとっての真実はあるはずだ。
今日は、高校生と接する機会があった。

とある進学塾のプログラムなのだが、高校1年2年の純真な子どもたちと話していると、とても心が温かくなってくる。少々あたまでっかちなところもあるものの、人の話を良く聞いて、一人一人が受験や進路などで悩みながら、放課後や土日に塾に来て、友人達や先生と一緒に濃密な時間を過ごしている彼ら彼女らをみると、自ずと心を開いている自分がいた。子どもは正直で透明なもので、こちらが心を開いていると反作用で心を開いてくれるし、こちらが情熱を持って話すと、向こうも情熱を持って自分の夢を語ってくれる。人間として、駆け引きのない、等身大のキャッチボールができる。

何より、子どもの教育に、優しくて柔らかな情熱を持ち、人生を捧げている素敵な方々にも会うことができ、すばらしい時間を過ごした。彼らは社会的にも成功者であり、人間的にもとても出来た人達だ。

つくづく思うのは、社会的・人間的の両方優れた人が教育にあたるべきであり、尊敬する、真似たい、ああなりたいと感じることができるような人が子どもの指導をしてゆかないと、やはり、受験競争といったネガティブで受け身な動機でしか動けない人間になってしまう。こうなってしまうと自分で人生を切り開くことは難しい。受験というブーストをかける前に、政治家、アーティスト、起業家、医者、弁護士、料理家、などの振り幅を広げて、色んな人に出会い、人を通して刺激を受け、ヒントをもらうことの重要性を知った。それも、中学生、高校生の若いうちにだ。偏差値なんかに縛られない前に。

僕の場合は、進学塾で脇目も振らずに中学までは受験競争して高校ではその反動で部活しかしなかったので、大学から今にかけて自分探しを長い時間かけて行ってしまった。”自分のやりたいこと”という軸で今までの人生考えてこなかったのである。”より可能性がある”という軸でやってきてしまった。そうやってきてしまった奴は結局、遠回りをすることになる。なんだかんだで今の心底満足する境遇まで辿り着けた自分のピュアさと努力については評価してあげたいと思うのだが(そういった意味では、僕は自分探しの叩き上げである。笑) 自分の生き方や進むべき道はなるべく早く定めることができればいいと思うし、わからなくても、現実的なステップを踏みながら、模索する時間と周囲の理解が必要だ。

とにかく、子どもたちは宝である。本当に。

また、話は飛んで、昨年お会いした、日本の高額納税者TOP50に入った元起業家で現在とある地域の地域振興のトップの方に親しくしてもらっていて、自分が学んだビジネスノウハウをぜひ一丁目くんに伝授したいというお言葉を頂いた。これはすごい嬉しいことである。今年からスモールサイズで、片手間でビジネスを始めたいと思っていたのでその件から何か一緒にできたらいいなと思っている。

たくさんやることはあるな・・ 幸せなことだ。

感謝して、がんばろう。