周囲の環境が、自己の成長にどれだけ資しているのか、ネガティブな表現をすれば、周囲の環境からどれほど影響を受けてしまうのか、常に考えている。成長意欲の強い人にとっては日常茶飯事のことかもしれない。
周りの仲間は、素敵で賢くて面白いほうが好ましい。(もちろん人間性も含む)
それは、自分の人間性や能力や思考のキャパが、外部のリソースからの影響をもらうことで、広がるからだ。
仕事でも、上司や後輩、取引先や顧客などは上記に沿った上で、レベルが高い方が良い。このことについては、万人に共通しているように思う。
この文脈において、できるだけレベルの高い環境を手に入れるという仕事の動機もあるだろう。
しかしながら、それを第一に考えるキャリアの選び方は、裏側から見てみると、芯がないということに他ならない。
ブランド志向の人は、環境を手に入れたがる。レベルの高い仕事ができる環境を手に入れたがる。
それに対して、成長意欲の強い非ブランド志向の人は良い環境を軸として、進路を決定しない。自身がブランドになると決め込み、芯を持って仕事にとりかかる。周囲の環境は仕事の動機にはならない。あくまで環境なのだ。
僕はこの二つに分類するならば、後者の道をいままで選んできた。「大企業には行かない」というのが、その典型的な僕の標語だ、しかしながら、いくら強くて高い志を持って覚悟を持っても、人間弱いところもあるし、環境によっては潰されてしまうことも僕は知ったのであった。
なので今の僕の考えは、変哲もない言い方だが、バランスを取るというものである。体感することで勝ち得たバランス感覚ほど強いものはないと思っている。
さらに、この二つの分類自体も、世の中が移ろいゆくにつれ、常に生き物のように動いている。僕の考えは、この個人の成長に影響を与える環境というものが、会社というものから徐々に分離し、個人で繋がれるようになってきているので、この後者を選ぶ道のりが以前よりも、歩みやすくなってきたというものである。
なので、業界や会社に付属している属地的な環境を求めてはいけないと思っている。芯ができることを運まかせにしていては、いつになっても芯は育たない。時代は、個人の時代が到来している真っ只中である。
だから、僕が一番気に食わない連中は、僕より能力や適性や感性が劣っているのに、ヌケヌケとブランドに背負われて自信マンマンで勝った気でいる奴だ。実際、僕の目線からだが、こういう奴は本当にゴマンといる。
僕のこの悔しさの源泉を冷静に考えてみると、やはりまだこの選択した戦略がワークし切れていないことがあるのだろう。今こそ持てるポテンシャルを発揮して、根こそぎ引っくり返さないと気がすまない。
深くて強い動機(芯)があれば、どこからでも、何人でも、変革や面白さを発信できる。
そう信じて、改めて覚悟して、まだまだ勝ち気にはなれはいけれども、必然的に経験したことを胸に、僕はまた後者の道を選び続けようとしている。まだまだ道が険しいのは当たり前で、ここが運命を分かつ、正念場であると感じている。
後悔ない、より素晴らしい30代をこれから迎えるにあたり、覚悟を決めなくてはいけない。