僕がある人の債権回収のお手伝いをしている中で、思ったこと。
もしかしたら、今にわかに緊迫している日本の隣国との関係でも、割と当てはめて言えることかもしれない。
人は、守りたいもの、傷つけたくないもの、大切なものがあるとき、正義感というものが芽生える。大多数の人がこれを持ったとき、これを持っていることが”自然でもっともらしい”こととなり、歴史を振り返っても、多くの場合、集団で判断を誤るのだ。
そしてその人間の正義感は、時として、その力が強ければ強いほど、相手を潰してしまうことがある。相手を潰した時点で暴力となり、正義ではなってしまうのだ。これを正義のジレンマとでも呼ぼうか。
そのため、正義でいたければ、まず相手を潰そうとしてはいけない。
ただ光をあてれば、自ずと悪は自滅する。
光をあてるとは、例えば個人レベルで言うと、堂々とメールも転送されても良いものを送る。発言ならば、録音して他人に回されてもいいくらいの内容を言う。表裏なく、日の光にさらす。すると、その公明正大さに窒息しそうな悪が、自然にうかびあがってくる。
次に、正義であるためには、感情という弱みを、何者にも握られてはいけない。目的を見失ってはいけない。
悪に毒されている人から次々に投げ出してくるボールをいちいち当て返す必要はない。
そしてもっと注意すべきは、相手が悪である部分を探し出して、目の前に突き出す必要もないということ。受動よりも能動的に余計に動いてしまう「踏み込んだ正義感」が、ものごとをややこしくしてしまうのだ。
正義だと信じていたのに、うっかり悪と同じ土俵に落ちてしまう。そのやり取りでは、どこにも正義は成立しない。むしろ恨みを買って、終わりなき血みどろの戦いとなる。
まあこんな事を書いていますが、今までの交渉は結果が出ていますし、このことで全く病んでもおりません。(笑)自分に改めて言い聞かせるために書いてみました。