前の投稿では、自分を育てるためにまずコリコリの「心の解放」が大事なんじゃないかと書きました。
この投稿では、その訓練が進んできたときに他にどんな訓練が必要になるのか?についてです。
(実際訓練ではないけれど、その書き方の方が何だががんばっている感じになるし・・)
「心の解放」が田畑を耕すことであれば、その田畑に種子を植えたりすることが当然、必要になります。僕の考えでは、思ったものを何でも植えてみればいいのではないかと思います。これはどういうことか?もうちょっと書いてみたいと思います。
種を植えることは、つまり「自分を満足させるための直接的な行動」です。
心が解放され、軽やかになってきたら、自分の直感や感覚がより研ぐすまされてきていることと思います。人によっては、ここでまた深い自己問答の瞑想にチャレンジするとか、耕しを続けまくることによって電撃的な運命的な出会いを待つということもあると思いますが、僕はそれはごくレアに実になるのではないかと思います。
僕は、そこまで耕された時は、あまり大きなことを深く考えないで、いいなあと少しでも思ったことに首をつつっ込んだ方が僕はいいと思っています。ちなみに、この時点では、これをやったらどうなるのか?他人からどう見えるかな?ずっと続くかな?と最初に考えてやめちゃうフェーズは過ぎていると想定しています。
きっと思いつきでやると段取りしていないので、うまくいかないことがあるかもしれませんが、僕自身の考えでは、その時に段取りを学べばいいと思っています。最初からアレコレと考えてしまい過ぎると始まるものも始まらないのだと思います。
というわけで、種を蒔くとは、自分が少しでもピンときたものをやってみるということでした。しかしながら、これを続けていても、いつの日かまた壁が訪れるのだと思います。次回の投稿ではその辺りについて、書いてみたいと思います。