スポーツと勉強と親の考え方

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 学力だけが全てではないが、学力が向上すれば、不思議と子供は自信を持つし、考えもしっかりしてくる。


 学力が高いということは、今の日本においては、将来において、確実にプラスにつながる。


 運動神経が良くても悪くても、走るのが早くても遅くても、プロスポーツ選手になれるほどの実力なら別だが、子供の人生にとっては、現実あまり意味をなさない。


 社会人になれば、運動神経なんてどうでもいい。


 私は、小学校で走るのは全生徒の中で1番だった。


 当時は、走るのが早いだけで、みんなから憧れられる存在だった。


 野球をすれば、100パーセント盗塁成功。


 しかし、年を重ねるにつれ、走ることが速いなど、全く意味を持たなくなる。


 一般人にとって、スポーツは、趣味としては、大いに役には立つかも知れない。


 スポーツを否定している訳ではない。


 スポーツに熱心になり、得られることもいっぱいある。


 ただ、勉強とスポーツの違うところ、それは


 勉強は、教育を受ける義務に基づいて、全ての子供がやらなければならないこと。



 スポーツは、やりたい人がやるもの。


 本がやりたいスポーツを選ぶことが出来るということだ。

 
 スポーツは、やめたければやめることも出来る。



 しかし、義務教育は、通常、放棄することはできない。


 高校でも、文系理系選択等の際に一部選択科目はあるものの、その他は教科は選べない。



 みんながやらなければならないのだ。



 先生も選べない。


 結局、学校に通っていれば、スポーツをしていても、決められた勉強はやらなければならないのだ。


 スポーツでは、精神面と肉体面が鍛えられ、また、集団スポーツでは、特に協調性や分析力等が鍛えられるのは確かだ。


 しかし、勉強をすることでも、精神面、肉体面を鍛えることはできる。


 協調性や分析力をつけることもできる。


 中学時代、中間考査や期末考査で、仲間と協力して、教科を分担し予想問題を作り、クラスのみんなに配っていた。


 中学の定期考査などは範囲が狭いので、予想問題は、割と簡単につくることが出来る。


 そのために、試験範囲のポイント、先生の発言などを分析して予想問題を作っていた。


 また、受験勉強ほど精神面が鍛えられるものはない。



 受験の合否は、確実に人生に影響を与える。


 子供にとっての最初のガチな試練だ。


 現実の今の日本では、学力の差が、その後の人生において大きな影響を及ぼす。


 それにより大半の人間は、使われる人間と使う人間に分かれる。


 プロスポーツ選手になれる素質がない限り、運動神経が通常の人生に大きな影響を与えることはない。


 プロスポーツ選手になれたとしても、若くして解雇される人は多いのだ。


 だから、私はスポーツよりも勉強を重視する。


 特に、子供の才能を見つけたり、頭がいいと思ったら、迷わず、教育の環境を整えてあげて欲しい。


 バカな子供は1人としていない。


 成績が悪い子は、勉強してない子がほとんどだ。


 導き方一つで子供は変わる。


 私の周りには、子供が東大、京大、医学部医学科に進学した人が結構いる。


 普通のサラリーマン家庭でだ。


 何故か。


 親の考え方が違うからだ。


 東大、京大、医学部医学科など、そもそもの発想がない親が多い。


 子供に対して、最初から、東大、京大、医学部医学科なんて行けるわけがないと思っていると、そこで終わりだ。


 確かに、超難関大学に進学するのは難しい。


 でも、可能性は絶対にゼロではないということだ。


 スポーツを否定はしないが、社会を生きていく上で大事なのは、頭脳だ。


 賛否両論あるとは思うが、私は、スポーツは楽しむ程度にして、勉強して頭脳を鍛えた方がいいと思う。