例のウェジウッドのマグカップ。毎日歯磨き後のうがいに使用。何ともまぁ贅沢な事。
’82のオールドらしいが、そんなことは関係無しに、何だか少し手になじんできた様で、カップ手をするのが少しうきうきする気分になってきた。
 
オラの歯磨き後のうがいは少量の水を2回。多くて3回。ウェッジウッドを口にするのはほんの数秒だ。だけどそれが少しの楽しみに成って来た。
いいものはやはりいいのですかね。
鬱病患者にとってはこんな些細な事が症状を回復させる。
 
 
 
オラは1k円を超える着衣を買ったことが無いのですが、高いものはそれなりにいいのでしょうか。少なくとも100kを超えないと本当にいいものは(何十年もお気に入りで着られる物)は手に入らないと思う。
 
前にも書いたが、ある日本人観光客がインドで運転手に「靴を買いに行きたい」とのたもうたゲナ。
運転手は驚く。貴方、今靴を履いているのに、足は2本しかないのにさらに靴を買うのですか?・・・・・
オラはこの感覚は大好き。服を着ている人が服を買いに行く。インド人にとってはそれは不思議な行動。ファッションだのナンだの自分を着飾っても所詮中身の人間本来は何も替わらない。それを外装(ファッションの事ね)で偽装するのはインド人にとって、勝手にしやがれだけど、意味の無いこと。中身が大事。イ
メルダ婦人の何百足の靴も所詮イメルダの人格には不相応。人にはただ一足、見合った靴があれば、実用に耐えられなくなるまで数年、次の靴を買う必要はないはずだ。
 
ヤレ何十着着のスーツだ、タイだ、シャツだ。女性にしてみればもっと膨大な量の着衣が必要にナル。それってホントに自分を磨いているのか?猫ダマシではないのか?
身の丈にあった自分自身の個性を発揮できるのならば、今所持している着衣の3分の1で事足りるはずだ。
 
柳井さんは大反発するでしょけどね。アハ
 
 
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あぁ、思い出した。前にも書いたけど。エゲレスのどこやらのヨットクラブの話し。男は年齢と同じだけの長さの船を所有しなければならない。55歳になったオラは55fのヨットを持ってしてやっと一人前。
55fといえば最早オールドソルトにはシングルには荷が勝ち過ぎる。沖では何て事無いが離着岸ではボートが重過ぎる。つまり55fの船を維持せよという事はそれなりの人望も作って、クルーも雇わなければいけないって事である。それなりの財力も必要だって事である。その年にはそれなりに社会的に成長していなければいけないという戒めでもある。
 
アァァ 一般の日本人には無理である。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
猫死我生。