募金とか義捐金ってのはオラは大昔から嫌い。だから赤い羽根の一本も買った事がない。
 
なんかさぁ、偽善的に思えるのよねぇ。
何処そこで大きな被災があっても、とりあえず100円募金しとけばいいか・・・みたいな。確かにオラの100円はみんなの力で大きくなってあっという間に億単位の義援金になり、それは正に復興の手助けには成るのです。
 
だけど、どうしても偽善的に思えて参加するのに躊躇します。実際現地に行ってボランティアするのであれば素晴らしいと思うのですが、とりあえず100円払ったから現地の人々に役立ったはずだ。それでいいのだ。ってのが納得いかない。それはそれで素晴らしい事なのですが。
100円払ったことによって自分があたかも免罪符を受け取ったかのような安心感は、違うと思う。
 
で、オラは一切の募金には応募しない。ただの1円も。何故ならオラが経済的に困って生きるか死ぬかになった時には誰もオラの事を応援してくれない。
ちょっと考え方捻じ曲がっているのは重々承知で、今回も1円も募金しない。募金を「偽善だ」と思わない人々の募金で十分だ。
 
 
同じ論調で、オラの免許証には「脳死に成っても一切の臓器提供はしませんと」マジックで書いている。
 
命はその命の器の中でだけ生きるべき存在で、人の臓器や人の義援金で生き延びるのは、野生の命とは少し違うと思っています。
 
今回は国賊のような辛口で批判を浴びそう。米少ないだろうな。覚悟しています。オラの事を嫌いに成る方々も多数か?
でも地獄でのそれぞれの人々の蝋燭の長さで人の寿命が決まっていると言うのは科学的に検証は勿論出来ませんが、アリかもしれない。人は蝋燭の長さにあがらえ無い。これもありかと。
 
で、これオラの本音。運命に支配されてるって事。ある意味一部運を自分で切り開く事もできそうですですが、根本的なところはすでに支配されている。死神?嫌々、キリスト教で言えば全知全能の神ゼウスが今でも世界を支配しているのです。
 
まぁったく民主主義じゃ無いおかしな考えだ。オラ達は先史時代から神の下部。人が自由だ何て千年速い。何か大きな力で突き動かされる小さな「個」でありまして、実際の自由は1000年先の話しなのかも。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
猫死我生。