そういえば7年前の明日、数時間並んでやっと2000円分だけ入れられたガソリンのおかげで安否不明だった家内のご両親を探しに釜石に
乗りこんだんだっけ。
まあ言葉もみつからない惨状は当時のブログを見ればまじまじと蘇る。
市内に入る前に車を諦め、徒歩で文字通り瓦礫を乗り越え避難所を
探して廻る。
あの瓦礫の下にはまだ発見されてないご遺体が眠っていたかもしれない。
パトカー、消防車、救急車は大阪ナンバーがほとんどでした。
阪神大震災での経験を頼ってのことと思いますが、本当にありがたかったし、もう道路とは名ばかりで逆さまになった車や瓦礫を撤去する
自衛隊の方々のご尽力にも頭が下がる思いだった。
途中でどうやら家内のご両親は無事であるという情報を得て少し安堵はいたしましたが、夕方、暗くなりかけの時分に無事お顔を拝見するまでは本当に気が気ではなかった。
途中、少しでも記録を残そうと携帯のカメラで写真を撮りまくる私に
家内は「観光で来てるんじゃないよ、少しは私の気持ちも分かってよ」
と言われて本当にすまない気持ちになったのも事実。
あれは3月14日だったんですね。
ホワイトデーだったなんて、頭の片隅にも認識は無かった。
私の震災による苦難なんてたったあの一日の事だったかも知れない、
今日、ホワイトデーのお返しを物色しながら7年前の事を思い出した。
こんな平穏な日々が続く事を願って。