「大阪商業大学空手道部との練習が実現」

東海会長のご紹介と指示により、待ちに待った日本の大阪商業大学空手道部との練習ができるようになった。なんと、高校時代から夢見てきた風景が現実となり、初めて道場に入ったときには非常に暑くて湿度も高かったが、ここで練習できるのが非常に嬉しかった。

私が訪問した初日には中国のナショナルチームも日本合宿として合同練習を行っていた。

さすがだなと思った。

 

 

空手部の部員たちは私を珍しいというか不思議な目で見ており、もちろんだが、今のK-POPのような韓流ブームはほとんどなく、みんな韓国語はおろか、韓国についてもほとんど知っておらず、全て日本語で会話をしなければいけなかった。

 

一人の部員(4回生)が聞いてきた。何しにきたの?

私は韓国語の表現のまま日本語で返事した。”見物しに来ました”

怪訝な顔で見られた。”見学”と言うべきなのに、、、失敗してしまった。

だって、日本語の正しい表現がわからず、韓国語として問題のない表現を使ったし、大丈夫かなと思ったからだ。(笑)

 

大学の練習は私が想像していたのとは少し違ってた。毎回、監督やコーチが来て練習を進めるのではなく、平日は4回生が指揮を執り、練習メニューに沿って行っており、毎週の木曜日や週末には監督とコーチが来て練習を見守る形だった。

練習時間も平日は午後6時から9時までの3時間で、前半と後半と別れており、部員たちは平日の午前、午後は授業に参加するのが義務付けられた。

土日には大会前になると午前1部と午後2部練習となり、監督の機嫌や計画によって一日休みをもらえるかどうかが決まるようだった。

 

また、大阪商業大学空手道部に入学する選手たちは学年別に2~3名が特待生制度で学費免除の待遇で進学してきており、それ以外は一般受験を経て、入学し、空手部に入部するケースがほとんどだった。なので、中高時代に成績の良い選手たちがスカウトされて大学に入学するので、子供の時から空手を練習してきたと言える。これは韓国の空手環境とは非常に異なる。なぜなら、韓国では空手は今だマイナースポーツとして、学校のチームはほとんどなく、地域の町道場で練習する程度なので、空手の基本や空手に対する認識も違っていた。羨ましかった。。。

 

私は彼らの日本語を50%程度しか理解できなかったので、毎回、練習メニューについて何回も説明を受けなければならず、もどかしい気持ちと迷惑をかけている気持ちでいっぱいだった。ある時からは空気を読むようになり、周りの練習をすぐに真似するほどになったが、最初は関西弁の日本語が理解できず、苦労したものだ。今こそ、関西弁で会話するレベルまできているので、日本人と思われるくらいの日本語力に達したが、その当時は苦しかった。 やはり、海外で生活するにあたって、現地の言語や文化を理解するのは必須かもしれない。(現在の私はオランダに6年目となるものの、そこまでオランダ語ができない;英語で会話が可能であるためだが)

 

という事情で、私はもうじき始まる日本語学校の7月学期に向けて、もっと日本語を習得するために努力すべきと改めて感じた。幸いにも韓国である程度、勉強してきたおかげで、日本での勉強や実際の生活は私の日本語能力の向上を加速させていった。

 

空手を日本の大学のチーム、それも日本一を目指しているチームで練習できるということ自体が非常に嬉しくて、少しでも指導を受けるために一生懸命に汗をかいた。そうして毎日、空手、そして日本の文化について経験することになり、考え方についても変化が現れる。

 

ところが、、非常に重要な課題を解決しなければならなかった。それはお金のこと。

私は当時、3カ月間の学費と寮費を支払いした後、現金として10万円だけをもって日本にきたので、せいぜい3ヵ月の命だった。最初計画していたワーキングホリデービザで1年間生活をするために何とか、生活費を稼がなかえればならなかったのだ。。

どうしよう????

 

続く。。。