声の大きな人は得だという。


だから、


今のご時世、

出来るだけ主張しようという。

言わなきゃ分からない、ともいう。

 

全くそうだ。

その通りだ。

 

だって、

 

言葉を発することが出来ない人間は、

言いたいことが無い、

と思われてしまうから。 


言いたいことがないなら、

そこにいないとさえ

思われてしまうから。

 

だけど、

私は耳を澄ませるのが、

めっぽう好きだ。

 

何故なら、

自分の声も大きい方ではないから。

 

でも、

自分に耳を澄ませてみたら、

自分にも、自分が“いる”こと

が分かったから。

 

そして、

言葉にならないものも確かに“ある”

と分かったから。  


言葉にならないうちは存在しない、

というのは

明らかに間違っていると分かったから。

 

それに

声の大きい人も、

何もかも言葉に出来ているわけじゃないと知ったから。


もしかしたら、いつだって

本当の声は小さいのかも知れない。 


もしかしたら、

本当に大切なことは、

語られていないこところに探しに行った方がいいのかもしれない。

 

きっと、

行間に人が“いる”んじゃなくて、

人という広大な宇宙の中から

ほんの上澄みのように

かろうじて現れたものが言葉だ

というだけなんだろう。

 

だったら、

お互いに黙って耳を澄ませる方が

早いということになる。

 

そして、

何より確かに言えることは、

 

言葉という鋳型に

無理に押し込められる前の

生き生きした何か”を感じることは、

とても楽しい❗️

ということである。