真面目な人か、真面目じゃない人かと
問われたら、

自分は真面目じゃないなあ、と思います^_^

講演会に行っても、
とても真面目な内容だと、
すぐにトリップしちゃうし、

深刻な場面だと、
なんとか場をほぐせないか、とか、
あまりにも人と違う視点から見ている自分を
発見してしまい、
若干申し訳ない気分になったりもします。

だいたいそういう場面で、
私と同じ様にアサッテな視点でいる人がいたら、
真面目な、神妙な顔をしていても、
すぐ嗅ぎ分けます(笑)

そういえば、先日娘も、

「学校で先生が長い説教をしている時、
私は一応顔だけは真面目に聞いているフリ
をしているけど、別に辛くはない。
あー先生今スネてんなあ、人間なんやなあ、
と分かるから。

周りの子たちは、先生の一言一言に
いちいちそのまんま引っかかって
プリプリしているんやけど、
そういう先生と生徒の両方の間で
私は面白いなあと眺めている」

と言っていました。
正に、不真面目(笑)


でも、
「私が先生はいい先生やと思うで、言ったら
みんなに、えーって言われたわ(笑)」


とも言っていました。


先生の言いたいことの底にある本音が
彼女には伝わっているのだろう、と思います。


そんな彼女も低学年の頃は、
自分が怒られていないのに
周りの子が叱られているのを聞くだけで、
辛くて仕方ない、正に真面目な子、
だったことを思い出すと、
よくぞここまできたな、と思ってしまいます。

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思うに、真面目というのは、
いろんな面があるでしょうが、


見えたり聞いたものを、
一直線というか、四角四面にだけ受け取って、
いろんな視点や柔軟性のない状態で反応して
しまう側面がある気がします。


「あの人は真面目だから。」


という時、


言われたことや決めたことを
脇目もふらずコツコツやるという意味とともに、

ちゃんとし過ぎていて、融通が利かない、
という意味も含まれてると私は感じるのです。


視野が狭く固定され過ぎていることで、
手段が目的を凌駕してしまうようなこと。
臨機応変性や、応用力にかけること。
相手が全然違うフィルターを通して
ものを見ていることを想像すら出来ないこと。
言葉尻にまともに反応して、真意で関わらない。
正しさの戦争と相性がいい。

などの、弊害があるんですよね。

今自分の出来るベストを尽くす、
それはそれでいいんだけど、

今自分がベストと思っている、そのフィルターを
敢えて揺さぶってみる。
他者に聞いてみる。
ワザと反対をやってみる。
想像の羽をはばたかせて、
いろんな視点を導入してみる。


そんなこんなで、いつでもどこでも
ニュートラルに構えながら
行き詰まりを打開する。


そういう感じで世界と繋がって行くほうが
いいんじゃないかな。


これは、さらに言うと、


今の自分に真面目になり過ぎない。
自分も他者も、自分勝手に固定しない。
確固たる自分を信じ過ぎない。


もっと正解に言うと、
確固たる自分と今自分が思っている自分のことを
信じ過ぎない。


ってことに繋がっていく。


そういうの、
不真面目って言われるのかもしれないけど^^;