平成29年8月13日 日曜日

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 母の爪は私の左腕と右手の甲にめり込んでいる。夜叉の面をした母は、それでも足らず、渾身の力で私の腕を口に持っていこうとしている。かむためではない。私の腕の肉を引きちぎろうとしているのだ。その強い意志を感じる。

 幸い81歳の母の力を何とか抑える。傷つけないように。足も動いているがテーブルの脚が邪魔をして母の思うようには動かない。

 母は、目の前の「こいつ」を傷つけ、支配しようと必死なのだ。そこに理屈はなく、なぜそうなったかのいきさつは不要で、周囲の人の恐れおののく表情やざわめき、悲鳴は耳に入らない。自分は悪くないのだ。

 こんな時は理性のかけらもなく、ただ目の前の悪い「こいつ」を、やっつけたいだけなのだ。「ひっこみがつかない」というのではなく、感情のコントロールができず、自らヒートアップしていくのだ。

 10年ほど前、母と連絡を絶つ前、「おとうさんがなぁ、枕元に立って悲しそうな顔して見とったわ。おんどれのせいじゃぁ」と罵声を放った。父の気持ちも通じぬほど母はいかれてしまったのだ。

 「引き出しに入れていた5万円を盗った。」「洗剤を盗った。」母の脳のシナプスは、母の理性をどんどん手放していった。「盗られた。」という思い込みから「あいつが盗った。」となり「あいつが悪い」となる、そのあたりまえの発想には何の根拠もない。

 私の手は血を流し、あかく腫れている。ジンジン痛む腕を見て、不覚にも涙が出た。「私でよかった。」「なんでこうなるんや」「かわいそうに」複雑ではない。私の思いはこの3点だ。冷静に『コト』を客観視する自分がいた。

 私でよかったのだ。他人に同じことをしていたら、大変なことになっていた。人の爪はよく切るのに、母の爪まで気にしていなかった。重度の認知症ではあるが、足は達者だし、字も危なげだがまだ書ける。国語は得意でレクリェーションの四字熟語など率先して答えている。もちろん、爪切りも自分でできる。が、感情のコントロールができず、すぐ怒るのだ。この怒り方が尋常ではない。

 事の起こりは、いつもクレージーな母に気を遣ってくれる人に歌の音頭をとってもらったのだ。

 日曜日の昼下がりは来客も電話も少なく、14時くらいから相生喫茶でティタイムにする。お茶の後で、しりとりをし、5周ほどまわったところで、歌詞を見ながらみんなで歌おうとした。その「いち、にぃのさん。」という号令を他の人に頼んだのが琴線に触れたのだ。

 ぐつぐつと沸騰する「怒り」は、歌を歌わず、なにやかにやと悪口を言っているのだろうか、その話し相手となっている人は迷惑な被害者だ。歌によっては「あれはお経かぁ。」と何度か聞こえる。本当に嫌な『ヤツ』だ。

 「怒り」は何かにぶつけないと収まらない。今までも私がドイツから買ってきたクリスマスツリーの羽根や写真、絵等が犠牲になっている。認知症のため「申し訳ない」という感情は「0」だ。クリスマスツリーも私の腕の傷も「わたし(母)がそんなことするはずがない。」からである。「これは母さんがしてんで」などと言おうものなら、怒りのスイッチを「ON」にするだけだ。「おまえは私をおとしめようとするぅぅぅ。」となる。

 私自身の気持ちのコントロールはせいぜい家族や話の分かる職員に「これ、母にやられてん」と、愚痴るだけだ。が、これも説明するのが面倒で、長そでのブラウスを着て目立たないようにしている。暑い。

 母の実家は商売が忙しく、6人兄弟で勉強嫌いな次兄と母だけが高校へ行っていない。母は、祖父からも長兄からも担任の先生からも祖母に進言してもらったが、祖母は頑として自分の意見を曲げなかった。自分は女学校に行かせてもらったが、女学校で学んだことは人生で何の役にも立たなかった、と。それより、商売や子守り(12歳下の妹の)や家事を手伝え、と。

 母はこのころから嫌な女の一面を持つようになっていったのかもしれない。嫌な女… 手を相手の耳元に持っていき、ひそひそ悪口を言う。またAさんの前ではBさんの悪口を言い、Bさんの前ではAさんのことをうわさする。認知症により『構え』が外れ、ひそひそではなく、聞えよがしのときもある、というタイプだ。そして、母は平成13年ころから認知症を発症する。

 翌日、相生の住民から「昨日はかける言葉が見つからなかったの。ごめんなさいね。」と、声をかけられた。ありがたい。皆さんが歌を続け、見て見ぬふりをしてくれたのが、なによりの救いだった。

 手の痛みは続き、盆休みの次男にアルバイト料を払い、母を連れ出してもらった。怪訝な顔をして出て行ったが、孫との2時間のデートは楽しかったらしく「おいしかったで、また、あんたも行こう。」と言う。幸い手の傷には気付かず、気温35℃での長そでのブラウスも不審がらずにいる。こんな痛い勉強はごめんだが、こんな激しい認知症の事例を身近に見ることができる、と思うことにする。

 私の体の中で一番美しいと思っていた自慢の肘から手首が傷だらけになってしまった。母は自分が生きた証を娘の私の体に刻もうとしたのだろうか。私の存在そのものが生きた証なのに。孫とのデート代と夏用の長そでブラウスは母の口座から引くことにする。明細を自分で書いてもらっているので、その時はまた「なんで私がそんなことするんやぁ。お前はわたしをおとしめようとするんかぁ。」と、言われるだろうが、それは、その時のこと。

 その日から10日ほど経ち、まだ癒えぬ傷跡を見るたびに思う。こんな老い方をする母が哀れである、と。そして、この哀れな母を看てやれるのは私しかいないのだ、と。

 「怒り」とその怒りからくる様々な問題に対応できる環境が常に整っているわけではなく、周囲に不穏と不信と恐怖を与えていることに変わりはない。私は自らの判断を誤ってはならない。どうか母に穏やかな時間を少しでも長く与えてください。亡き父に願う。