平成29年4月26日(水)人間ドックを終えて

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 私は内視鏡の検査が苦手です。

 

 人間ドックは年に1回受けると決めていますが憂鬱です。内視鏡検査に対する嫌悪感がそう、思わせるからです。

 

去年は受付の人以外全て男性のスタッフでした。医者も看護師も。

 一瞬、ひるみました。この中で私は数分間醜態をさらすのだ。

              早く時間が過ぎればいいのに。

 

 

 

今年は珍しく受付をしてからトイレに行きました。私より後に入った人間ドックの人が先に検査を受けることになっていました。私が受付横のパイプ椅子に座ってすぐ、その人間ドックの人より前に検査を受けた人が静かに出てきました。私は名前を呼ばれ、カーテンに仕切られた別のパイプ椅子に座り、「胃をきれいにする薬」なるものを飲み、憂鬱な気分にどっぷりつかっていました。

救われたのは、女性の看護師がいたこと。

そして、きっといつも観ている胃カメラの画像、完全に自由を奪われ、拒否さえもできない体勢から唯一気をそらすことのできる画像。ベッドに許可もなく押さえつけられ、トドのごとく転がる自分に対し唯一権利が認められている画像鑑賞。私の体のどこにあるのかわからないけれど、小さな突起があり、失せることなく年々大きくなっていくその姿とまた出会える、というわずかばかりの期待感。

 


 

なんだか今年はおかしい。先生の私語がやたらと聞こえる。今までなかったことだ。

 

 

 

 

いろんなところに講師で呼ばれている。関東の方は有名な先生がいるので、僕なんかまだまだ。

衛生管理はもう、病院によって全然違う。○○病院や△△病院なんかは~だ。

 

ん・・・・・・。胃が汚れていて見えないなぁ。水を入れ   よう。あ、顔にかかった。あれ?また顔にかかる。あ、横   から漏れてる。それにしても胃が汚れているなぁ。

 

 

 シェー!死体や全身麻酔がかかっている人を相手にしているわけではないでしょ。あーやだなぁ。ありえへん。

 働き盛りの先生とインターンか2年から4年目くらいの先生との会話なんだろうか。あかん、あかん、若い先生やと肩に力が入りすぎる。私なんて格好の餌食や。半年前に受けなあかんいわくつきの箇所があるのに・・・あかん。先生頼むし、力まんといて。先生の対象物ではあるけれども生きてるし、耳もよう聞こえてんねんで。

 環境を変えるか違う先生にしてもらえる権利が私にあるのだろうか。確認すればよかった。いやだな。1時間も、30分もかかる検査ではないけれども今回は引き返せるなら引き返したい。


 モニターは?
 看護師が言うには壊れて来年には入ると思う、ということだ。絶望という水があるなら私は頭まで漬かってしまった。自分の物でないなら粗末に扱うのか。高価な物だろうに大切に扱ってくれればいいのに。あぁ、無情。

 

 

私の去年のデータを見、急きょ拡大鏡付の検査器に代わった。あー、若い先生、心なしかはずんで見える。やめて、やめて、先生、頼むし平常心でして。機材変更の説明はない。「どーせ、聞こえてるやろ」と思っているのか。「はい始めますよ」という声掛けもない。私はベッド上のトドで物(ぶつ)なのだ。ぐいぐい入れられるカメラはいつもよりさらに苦しく、背中に不快な違和感を感じる。初めてだ。げぼげぼ、げぼげぼ、苦しい。看護師が口だけでなく鼻でも息をしてくださいと、声をかけてくれる。目、鼻、口からそれぞれ涙、鼻水、よだれを流している場面でなぜ鼻で息ができる?もちろんトライしました。鼻は詰まってうんともすんとも動きませんでした。私が無事、検査が終わるまで生きながらえるのは口呼吸という選択肢が残されているだけでした。

 

 

 

  ん!拡大してみましょう。さすがっすねぇ・・・・。

 

  こういうのはねぇ、絶食したらええんやけどなぁ。

 

言葉尻は覚えていませんが、拡大鏡の付いた検査器を褒め、トドのぐうたらくな食生活とストレスでできたなにぞやに対し、見識を誰に言うともなくつぶやいているのだ。

私にはわからないし、聞かされていない。説明も受けていない。胃カメラの先生は胃カメラを撮ることのみが仕事なのか。それをいろいろ検査して内科の先生がコメントをするということが流れなのか。

 

ベッドの上のトドに画面を見せながら「○○さん(人として扱ってもらえる根拠)、こういう状況の場合は2、3日絶食したら快方にむかいますよ」と言ってはいけないのでしょうか。先生や病院にとっての当たり前はトドには理解できておりません。

 

内視鏡検査という言葉のキャッチボールができない状況なので「どーせしゃべれないし、質問もできないから、ええか。」ということなのだろうか。何も説明を受けていないのでわからない。おそらく誰も知らないし、知らされていないのではないでしょうか。その病院の中での常識で、その病院に関わらない人には未知の世界です。

 

げぼげぼは続き、ますます胃カメラが苦手になるのを確信している。と、同時に「当たりはずれ」という言葉の意味も体験している。この屈辱的な時間と場面に対しても、嫌悪感はほぼ、絶望に変わっていました。

 

 

ぐちゅぐちゅの顔で起き上がったトドに看護師が「大丈夫ですか」と声をかけた。その後、いろんなところを回り、人間ドックの受付に帰った時にも「大丈夫ですか」と、声をかけられた。

 

「大丈夫です。」私は生きています。すっかり、萎縮し、落ち込み、意気消沈し、左下脇腹に痛みを感じますが痛々しい恰好はできません。吐き気と腹部の膨満感はありますが、それは第三者にはわかり得ないことです。私だけが抱えている不快感です。そんなことをひとつひとつ説明する体力も気力もありません。が、私は立っていますし、歩けます。ガスとげっぷを出してくださいね、と言われても人前でそんなことができるわけもなく苦しいです。これも私だけの不快です。私は会計を済ませ、車を運転することができました。不快と痛みが取れることはないように思われましたが。

 

ガスがたまり、産婦人科の子宮内の映像に影が入り見えにくい。これではせっかく恥ずかしい恰好をし、高額な出費をしているのにもったいない。影で見えず、ここでも膣の中で機械を長く動かす。産婦人科の先生は丁寧に画像を見せながら説明してくれましたが、素人の私にも画面がガスで不鮮明なのがわかります。『先生、痛いんですけれども。』この痛みは夜まで続きました。女性は内視鏡の前に産婦人科を回る方が適切だと思いました。また、その選択肢があってもいいのではないかと思います。どうか、ご一考を。

 

 

先生は私に声をかけることは一度もありませんでした。そんなマニュアルでもあるのでしょうか。私の前の人間ドックの人に対しても「胃はきれいでしたよ」と、声をかけたのは看護師だと思います。

 

「始めますよ」「終わりましたよ」という発声すら、きっとマニュアルにはしてはいけないとでも明記されているのでしょう。そして、その当日の先生はそのマニュアルを遵守されたのでしょう。

「今回は、新しい機械を使いましたので、より精密に検査ができましたよ。後日、内科医より説明があると思います。苦しい思いをされましたね。今日はゆっくり休んでください。」などというねぎらいや尊厳の言葉かけは医学の世界では存在せず、こんな優しい人間味あふれる声掛けはトドの甘い妄想なのでしょう。

 

食事時や控室で話すようなことを人間ドックの受診者の前で話すのは時間節約になり先生にとっては適切なのかもしれません。私は体の不快感とは別に不信感が残りました。

 

それでも、もしかしたら声をかけてくださっていたのかもしれません。私の意識が混濁して山盛りの不信感のなか、疲労困憊してやっとの思いで起き上がりましたので、聞こえていなければお許しください。ただ、私の前の人間ドックの人への声掛けがなかったことは確信しています。

 

胃カメラを受ける前に途中で止めてほしい場合の説明があってもよいと思いました。体の自由は危険ということで全くありません。担当医の判断が全てというのは、人間ドックを有料で受ける人の権利が不在だと思います。一考をお願いしたいと思います。


 私はその日、夕方まで何もできませんでした。神戸に行くつもりでしたが、キャンセルの架電は16時ごろになってしましました。17時ごろに寝室に行けましたが、そのころには14時頃に食べた食事が効いてきたのか元気が出てきました。そして、不信感と静かな怒りと膣の痛みがこのまま何もせず来年の受診を迎えるのではなく、確認と発信をしなくてはならないと警告を鳴らします。

 

 

 

そして、人間ドックの受付に連絡し、先生から直接所見を聞くこととし(毎年、その「病院まで話を聞きに行く」という時間がもったいなくて郵送してもらっていました)、アポイントを取るとともに、当日の担当医に直接苦情を言いたいと伝えました。けっして感情的になることはなく、冷静に申し上げます、と伝えました。





 先生にとってはめんどくさいことでしょうが、来年の私のためにも改善してほしいことや要望はつたえたいと思いました。先生にお会いできない場合に備え、記憶が鮮明なうちに書面にして保存しておきます。先生のご都合もおありでしょうが、私の都合もありますので。

 

 

 

平成29年5月2日 米田 真澄