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【新型コロナウイルスについて】 より 抜粋

 

バラ十字会AMORCフランス語圏本部代表セルジュ・ツーサン

私の考えでは、グローバリゼーション(globalization:地球規模の通商や交流の拡大)には欠点や行き過ぎもありますが、それは人と人の協調や平和に寄与するので、基本的には望ましいことです。

しかし、現在の政治や経済の基礎は変わるべきであり、すべての人の幸福を実現することを目的とするように方向を転換するべきです。そのためには、政治や経済が競争ではなく協力に基づくようにすることが必要になります。

 
新型コロナウイルスの感染拡大によって生じた、極めて痛ましいできごとは、多くの人が寿命を全うせずに亡くなっていることです。特に、かなり多くの国で極めて簡素な葬儀しか行えなくなっていることから、多数の家族が悲しみと絶望に突き落とされています。
別のひどい悪影響として、工場、会社、企業、個人事業や、他の種類の仕事や活動の多くが、廃業や永遠の活動停止に追い込まれていることが挙げられます。そのため、無数に多くの人が職を失い、無数に多くの人が、職はあるものの不安定な生活を余儀なくされています。
いずれ経済全体が再建されなければなりませんが、それは、過去の過ちを考慮に入れて新しい「モデル」を(この語の最良の意味で)構築する機会になる可能性があります。
現状では、より多くの商品を生産し続けるために、ますます多くの物を消費するように経済が人間を駆り立てています。
「成長」ということに経済が基づいている限り、この状況が終わることは決してないでしょう。経済成長への「信仰」という固定的観念を私たちが持ち続けるならば、人間は地元との絆を失い、機械やロボットに取って代わられ、人工知能(AI)が過度に進歩することになります。
そこからもたらされるのは人間性が失われた社会であり、社会全体が活力を失い、不平等が激化します。そのような社会では、お金が貪欲さと心の荒廃をかつてないほど加速させる要因になり、最も基本的な倫理観にさえ敵対するものになってしまうことでしょう。
感染拡大からもたらされた肯定的な影響
しかし、誤解を恐れずにあえて言うならば、この感染拡大からもたらされた肯定的な影響もあります。
多くの人が自分自身について考えるようになり、存在論的な疑問を自分に問いかけるようになりました。人生には意味があるのか? 死とは何か? 私たちはどこに向かっているのか? 運命というものがあるのか? などです。
それに加えて、多くの人が現在の世界の脆弱さと、長く続いてきた狂気のような状態に気づくようになっています。
一方で、医者と医療補助者の皆さんの献身と無私の行為は言うまでもなく、礼儀、親切、忍耐、助け合い、笑顔、思いやりなど、長いこと姿を消していた態度や振る舞いが、再び見られるようになりました。
自然環境について言えば、温室効果ガスと微小粒子状物質(PM 2.5など)の放出が減りました。森は春の空気を自由に呼吸できるようになり、何百万本もの木が切り倒されることを免れました。漁業もほぼ休止状態で、サンゴ礁と海底のダメージがかなり回復しています。
河川、湖、海は「休む」ことができ「若返って」います。多くの国で植物と動物が、殺されることが休止されています。もし人類が本当に望むならば、ただ単に自然界に時間を与えるだけで、自然に対する有害な影響が減り、再生がもたらされるという確かな証拠が得られています。
黙示録
新型コロナウイルスの感染流行から、『黙示録』を話題にする人もいます。ご承知の通り『黙示録』とは、新約聖書で使徒ヨハネが語った、世界の終末に起こる大惨事の物語です。
私の考えでは、この物語は明らかに比喩的なものであり、現在の人類の状況に関連するものではありません。この数ヵ月間に人類が経験していることは、世界の終末ではありませんし、一部の人が主張するような神が下した罰でもありません。
しかし、私たちはこのできごとを「良いことがもたらされるための痛み」であるととらえ、人類という集団に課された試験であり、そこから次の時代の始まりの兆しである新たな気づきと望ましい変化が起こると考えることができます。そしてこの新しい時代は、人類が個人や集団として表すことができる最良の性質に基づいたものになると期待し希望することができます。
すると「黙示」という言葉は、この事態を表わす言葉として意味をなすと言うことができるのかもしれません。「黙示」(apocalypse)とは元々は、「思いがけないことが明らかになる」(revelation)ことを意味していたからです。
しかし新しい望ましい時代を迎えるためには、私たち人類は深い自省を行い、何が起こったのかを記憶にとどめ、地球に対してまるでコロナウイルスのように振る舞うことを止めなければなりません。さもなければ、公衆衛生や、核エネルギーの技術や他の技術に関する新たな大惨事が起きて、さらに壊滅的な結果がもたらされることになるでしょう。
 
感染の拡大と、それによって生じた多くの方々の死の責任がどこにあるかを、今後の数週間か数ヵ月に、多くの人が糾弾しようとするのは疑いのないことでしょう。「魔女狩りや責任の転嫁」が、インターネットや一部のメディアですでに始まっています。
それらの動きの多くは、政治、イデオロギー、コーポラティズム(corporatism:協調主義)、陰謀論、日和見主義や、他の秘められた動機に関連しています。
歴史を修正しようとする人たちがいて、この感染拡大の経緯を改変することを試み、発言に耳を傾けてくれる人や文章に目を通してくれる人たちのすべてに、このウイルスが国に入ってこないようにするためには、あるいは素早く封じ込めるためには、あるいは被害者を少なくしたりゼロにしたりするためには、何をすべきで何をすべきでなかったのか、何を言うべきで何を言わないべきだったのかを説明しようとしています。
このような時には、多くの人が論争したり意見を述べたりすることを好み、しばしば匿名でソーシャル・ネットワークにおいてそれが行われます。もはや変えることのできない過去の経緯を自分の都合の良いように改変したいという誘惑は強いものです。
あらゆる国で、さまざまな分野とさまざまなレベルにおいて、多かれ少なかれ重大な過ちがなされてしまったことは明らかであり、それらは、未来のために教訓として私たちが学び、伝えなければなりません。
さらに言えば、世界の現状に対して、自分には全く責任がないと言い切れる人がいるでしょうか。私たちの一人ひとりが、考え方と行動を変えなければならないのではないでしょうか。
 
著者セルジュ・ツーサンについて
1956年8月3日生まれ。ノルマンディー出身。バラ十字会AMORCフランス本部代表。
多数の本と月間2万人の読者がいる人気ブログ(www.blog-rose-croix.fr)の著者であり、環境保護、動物愛護、人間尊重の精神の普及に力を尽している。