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「俳句」、「世界俳句」、「漢語/漢字俳句」 吳昭新(瞈望、オーボー真悟)、Chiau-Shin NGO

【日本の俳句団体】


日本の全国性俳句団体は三つある、「現代俳句協会」、「俳人協会」と「日本伝統俳句協会」である。そのなかで「現代俳句協会」は最も歴史が長く一番大きい。戦後1947年石田波郷、神田秀夫と西東三鬼らを中心に創立された、「俳句芸術」の俳誌あり。創立当時は会員38名のみであって、入会するのも容易くなかったが。現在は会員10000名余りあり、会長は宇多喜代子、名誉会長に金子兜太、現在月刊会誌「現代俳句」を発行している。また現代俳句大賞、現代俳句協会賞、現代俳句新人賞、現代俳句評論賞などの各賞を出している。


1961年に伝統派と改革派との間に争議が発生し、当時の幹事長中村草田男が伝統派を引き連れて脱退し、べつに「有季定型」を主張する「俳人協会」を設立したが、後に残った伝統派に加わるに無季派と自由律派らが集まって総合俳句団体を成立し、共同努力して会務を経営し今に至った。後に1987年にまた両会と距離を保っていた虚子の「ホトトギス」系の人達が別に「日本伝統俳句協会」を設立し、虚子の「花鳥諷詠」を受け継ぎ、ここに日本の三大俳句団体が鼎立し今に至った。


「現代俳句協会」:http://www.gendaihaiku.gr.jp/index.shtml 


「俳人協会」:http://www.haijinkyokai.jp/ 


「日本伝統俳句協会」:http://www.haiku.jp/index.asp 






【漢字/漢語俳句】


続いて今日の第二の題目、「漢字/漢語俳句」の問題に入ります。


アルフアベットなどの表音文字で表記される西欧諸国の言葉のHAIKUが突き当たる壁や疑問とはまた異なる問題が、漢字文化圏内の言葉で詠む俳句(広義の)では出会います。


俳句の基本は十七音節で一章となる短い詩です。漢字文化圏では言葉の表記に同じ漢字を使いますが、言葉によって発音も意味も違うとともに、ここ六十年来、同じ意味を表わす漢字の形(書き方)も違ってしまいました。


漢字の代表である中国の普通話を例に取ってみましょう。


まず俳句の一番基本になる音節に就いてみると、普通話では漢字一字は皆一音節ですが、日本語では多音節になっています。たとえば中国普通話では「我」の字は一音節で「ウオー」と発音しますが、日本語では「ワレ」と二音節になります。そのうえ普通話の「我」の意味は日本語では「私」の意味で、「ワタクシ」と四音節になります。


俳句で「私」を表現する場合、日本語の四音節は普通話では一音節ですむのです。日本語では十七音節の四分の一を使ってしまうのに普通話では十七分の一しか使わないのです。その結果、同じ十七音節を使って俳句を詠む場合、普通話で詠んだ場合の意味量、情報量は日本語の俳句の四倍にもなる、というようなことが起こりかねないのです。それゆえ、日本の俳句が十七音節からなると言って、中国普通話で詠む俳句も十七音節、と言うわけにはゆきません。意味量が数倍になる、少なくとも二倍以上になるゆえ俳句の短小の本質に符合しません。


ご存知の「漢俳」という短い詩があります。ご察しの通りもともとのもくろみは「漢語俳句」のつもりだったのでしょうが、前述の理由でとても俳句とは言えません。とどのつまりは「漢語短詩」になってしまいました。ところが思いもよらず、この「漢語短詩」が中国では、ここ三十年来一般大衆に受け入れられフアッションになり瞬く間に広まってしまい、名称も「漢俳」と言われるようになりました。


ところで「漢語短詩」に帰せられる漢字で詠まれた短い詩は、漢字文化圏の核心である現今の中国の領域内に、一、二千年前からありました。しかし、特にもてはやされる事はありませんでした。日本の俳句を倣った十七字漢語短詩も、かつて中国のあの有名な五四新文化運動時代に一時はもてはやされました。その後、1972年に日中両国が正式に国交を回復し、日本俳句代表団を中国に招いたとき、歓迎会場で主人の趙樸初氏が十七字の漢字の短詩を即興で詠みました。これが漢俳の始まりだといわれています。その短詩「綠陰今雨來,山花枝接海花開,和風起漢俳」の最後の二字が「漢俳」でした。


爾来、中国国内では漢俳が速やかに発展し、2005年には北京に於いて「中国漢俳学会」が成立(2005.3.23)したのを始として、中国各地に漢俳学会が成立し,漢俳は中国全国に流行し,近年に至っては更にインターネットの普及と同時に日本文化に興味をもつ若者たちが少なからず創作に参加し,漢俳をして歓迎されるべき「インターネット文學」の一つとしての体裁とならしめました。


最近の漢俳の流行は、2007年4月12日の「日中文化、sports交流年」において中華人民共和国総理温家宝氏の歓迎パーテイで,温家宝氏が詠んだ漢俳一首に始まり、その後漢俳は更に加速的に中国一般大衆に受け入れられ、もう一つの新しいブームを引き起こしました。 そして中国に止まらず、日本の漢詩界でも流行りだしました、俳句界ではありません、とどのつまり漢俳は漢詩の一種で古詩体より詠み易いからです。


日本漢字の多音節とは違って漢字は単音節文字であるゆえ,上述の如く漢俳を日本俳句の十七音に照らして漢字十七字とした場合、俳句全体に情報量が多くなりすぎると言う問題が発生します。一方日本漢詩の短詩の「曄歌」は日本の俳句とよく似ていて、漢字三四三の形式で詠まれ、丁度俳句の形式と内容量によく似ています。


一般論で詩を別の言葉に翻訳すると言うことは難しいことで、いっぱんの文章を翻訳するよりずっと難しいことです。しかし俳句はその短小と簡単であることによって返って翻訳を容易ならしめる傾向があります、そして忠実に他の言語の俳句に翻訳することが出来るものであります、即ち厳復の「信達雅」の最も理想的な翻訳の境地に達することが出来るのであります。というのは俳句の詠みと読みの詩情,意像は不同であり得り、また同じくないのが当然たるゆえ、返って翻訳者をして自己の意のままに翻訳することを許さず、過去の翻訳者は無理に五七五定型に合わせんがために、返って無理に原文に余計な語彙を入れ、結果は「錦上添花」、「画蛇添足」になってしまい、翻訳者個人の詩情の読まれてにしてしまっている様です。


 では本題に入りましょう!


「漢語/漢字俳句」を私は表題としています。それには訳があるのです。「漢語俳句」と「漢字俳句」は一歩踏み込んで考えてみると、違いが確かにあるのです。「漢語俳句」は漢語の俳句、即ち今の中国にあたる地域で使われていた言葉、または使われている言葉で詠まれる俳句です。例えば中国の標準語にあたる普通話、またそれと同じ言語学的性質を持つ漢語系の台湾語、客家語、広東語、四川語、……などで詠まれる俳句を指します。これ等の言葉は一字の漢字は皆一音節で、言葉を書きとめる場合、漢字以外は使いません。


一方、「漢字俳句」について話しますと、日本語は、2131字の新常用漢字および7000字余りの漢字を活字媒体では使っていますが、話す言葉を字に書く場合に漢字のほかに仮名を併用しないと完全な意味を表現出来ません。もし日本語の漢字だけで俳句を書いた場合、それは「漢字俳句」ではありますが、「漢語俳句」ではありません。というのは使われている「漢字の語彙」は日本語であり漢語ではないからです、もし漢詩と同じように漢語を使った場合は漢詩と同じように「漢語俳句」になります。同じ漢字でも漢語と日本語では意味が全然違う場合があります。例えば日本語の「大丈夫」は日本ではもう字面通りの漢語ではなく「漢字日本語」になっており、生粋の日本語です。「大丈夫」は日本語では「安心、危険なし、…」の意味ですが、漢語では「立派な男、偉大な男、…」をさします。


同じ漢語系では文語の場合は一応お互いに意味が通じますが、口語の場合は、同じ事や物を指す言葉が往々違っていることがよくあります。日本語の「お月様」、「お日様」は普通話では「月亮」、「太陽」と言いますが、台湾語では「月娘」、「日頭」といいます。


そして漢字もいまでは、中国、日本、台湾でそれぞれ字形が違います。例えば日本語の「読書」、中国語では「读书」、台湾語では「讀書」と書きます、また、発音も違います、日本語では「dokusyo」、中国語では「dushu」、台湾語では「takkchu」と全く違う発音です。


確かに押韻、平仄は、古くは漢詩を詩たらしめる為の必須不可欠の条件でした。しかし、そのややこしさのために、かえって一般大衆から敬遠される破目になりました。その結果、中国では五四新文化運動の後、口語自由律の新詩が生まれたのでした。


今の台湾、そして中国でも、口語新詩(自由律)が主流です。いわゆる伝統中国詩詞を嗜む人は余り多くはありません、しかし彼らは確かに、少数のエリート詩人で、そうざらにいるものではありません、天賦の素質と同時に長い学習に耐える堅い意志力がなければなりません、そしてまたこの道に専心する必要があります。


と言いますのも、シニカルですが、今の「普通話」では、押韻はまだよいとしても、平仄を区別することには多くの人がまごつくからです。普通話では、いわゆる入声はみな四声の中に組み込まれてしまっています。そこで、特に一字一字の平仄を覚えることは、詩そのものを理解するだけでも困難な一般大衆にとっては、この情報過多、知識広範また複雑なる現代社会においては尚更難しいことなのです。ただ少数の古代文学に興味ある天賦の詩情の持ち主に譲るのみです。


「中華新韵」は古音と今音の違いを補うために作られたのですが、決して正確ではありません、今に残っている有名な中国古詩は皆古音で詠まれた詩です、そこで「中華新韵」の平仄と違うという矛盾が出てきています、また一部分の人は別の韻書「平水韻」の平仄によっていますがこれもまた違うことがあります。そして、もっと皮肉なことには、台湾語には漢語の古韻が多く残されており、古詩を台湾語の読音で詠むと普通語より遥かに詩韻に富む詩吟を楽しめるのです。日本語の漢字の音読みで呉音を択んだ場合、その発音は普通話の発音よりずっと台湾語の読音に似ています。


上掲の漢語の意味、形、発音の違いは、もとを正せばみな昔の漢字から変異して来たものです。もしいにしえの漢字がなければ、今の中国文化も日本文化もなかったことでしょう、片仮名も平仮名も、そして万葉仮名も。


そして、逆に現代漢語の多くは、「和製漢語」であり、明治時代に日本で創作され中国に逆輸入されたものです。例えば「経済」、「科学」、「哲学」…等。また、中華人民共和国の成立後、漢字の字画を少なくするために簡体字と言う新漢字が数多く作られました。そして、それら多くの新字は、そのオリジナルの字を想像することさえ出来ないほどに変わっています。その上、発音が同じか近いと言うだけで、意味が全く違ういくつかの字を一つの字で表わすなど、文章の了解に不便と混乱を来たし、社会の反発をかい、あげくは第二段階の簡体字は公布(1977)のあと九年で(1986)取り止めざるをえないありさまでした。一方、日本の漢字も戦前の漢字と違う字がだいぶあります。(中国では、今や昔の正字に戻そうと言う動きが民間で燻っています、ただ今の中国の政治体系では難しいと思いますが、何時かその日がくると思います。社会は時々刻々かわっています、そして人々の考えも……。)