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「俳句」、「世界俳句」、「漢語/漢字俳句」 吳昭新(瞈望、オーボー真悟)、Chiau-Shin NGO

日本では、社会での俳句団体の集会は「結社」と呼ばれています、またこれ等結社の多くは伝統色彩を帯びており、しかも夫婦、親子、あるいは師弟相続の世襲の傾向があり、そして大概は上述の三制約を墨守する伝統俳句であります。当然伝統俳句でない結社もあります。とは言ってももし俳句結社の俳人たちが詠む俳句作品の内容を詳細によく見ると、半分以上の句は季語、定型、切れの三要件を考慮にはいれてはいるが、経験の長い同人たちが句会の「披講」で専心するのは、上五、中七、下五の定型を数え、破調とか季語があるかないとかばかりで、だれひとり客観写生については気にせず、そして殆どの句は主観の感動を詠んでいる句で、必ずしも純粋の景色などは描写してもおらず、全く完全に伝統俳句の客観写生の主張からは遠い句ばかりです。私が言いたいのは主観の俳句がいけないのではなくて、口では伝統俳句を口癖のように言いながら、実際にはそうでないといいたいだけです。


視界を広げて近頃発表された若い人達の俳句集を見てみましょう、そして一歩進んでネット上の俳句を。多くの作品はたいてい三要件を固守してはいるものの、主観的感動を詠んだ句が多く、また所謂の自由律あるいは無季の句も少なからず見られます、かつすぐには理解できない句もあり、所謂の難解の句です。ただ結社の俳歴の長い骨董老俳人が、彼らが読んで判らない句は俳句でないと言う考えを通そうとすることが、若い人をして句会に近づくのを躊躇する原因になっているのです。


もし必ず「定型」、「季語」の約束を守らなければならないと言うならば、石倉氏のブログで子規の《俳句分類》の内容についての記載を見れば:「子規は江戸時代の俳諧十二万句を分類して甲乙丙丁四類に分けた、甲類は季語で分類したもので一番多い、その中で興味を感じたのは、子規は十八字の句を『字余り』とはせず、別の一形式とし、『三三七五』形式の句として記録した」とあります。子規が字余り、字足らずを重視して問題としない以上、石倉氏は言う:「それならば誰が字余り、『破調』を問題としたか疑問が出て来る」と、石倉氏また言う:「もし甲類だけに着眼するならば虚子の有季定型であり、乙類と丙類に着眼するならば、碧梧桐の無季自由律が見えてくる、これ等の自由律俳句は子規の分類によるならば、句読によって各々の形式がある、これより子規の認識には明らかに無季、自由律が存在するのである」と。


伝統俳句結社のさまざまな悪習については、十何年も前にもう既にネット上で論客中川広らの問責や酷評が見受けられる、そしてこれ等結社を花道や茶道の技に喩えて、文学的本質が無いものと批評している。中川氏の虚子に対する批評はまだもう一歩進んだ検討の必要があるにしても、彼が言う結社の内輪事情は実際に多くの人が感ずることで、反省すべきである。また虚子の「客観写生」の主張については、秋尾敏氏、石倉秀樹氏らもそれは虚子の真意ではないという説もある。


また、俳句は第一大戦後にすでに西洋各国に伝わっていて、二次大戦後に歩みを速めて各言語の中に展開していった。と同時に日本国内でも継続して変遷していった。実際に日本俳句史を詳しく読んでいけば分かることであるが、これ等の変遷は俳聖子規が百年余年前俳句の定義を規範したあと直ぐに始まっていたのであり、ただいつも俳壇上を一時賑やかに騒がすのみで過ぎさっていったのである。


顧みるに、俳句界の多くの名家が残した、社会から認められた所謂の名句、秀句のなかで、多くの句が所謂の伝統俳句の句に符合していないのに誰が注意を払っただろうか。近来非伝統の傾向がまた若い人たちの参加によって新しい天地を開拓しつつあり、ただ伝統俳句結社の重々たる環視下において、速度は遅いがすこしづつ進んでいる。しかし、ネットが普遍した後、情報の来源が豊富になり、知識の伝達が加速し、そのうえ夏石番矢らのグループがすでに俳句を世界各国に開拓することに成功し、国際性組織の「世界俳句協会」(World Haiku Association; WHA; 2000年)を立ち上げ、ウエブサイトもあり、日本と世界各地で定期俳句大会を開き、二年に一回世界各国で開催され、2011年九月には東京で第二回東京詩歌祭と合併して第六回大会を開催した。311東日本大震災と福島原発事件の影響にもかかわらず、三十六ヶ国及び地方の詩人たちが参加した。


その協会は毎年「世界俳句」会誌を一冊出版しており、いままでに既に八冊出版され、『世界俳句2011第7号』(World Haiku 2011 No.7)では、総ページ240ページ、全世界の41国家及び地域の181名の詩人の522句の俳句、7国15名の俳画、6篇の俳論、24句の児童俳句が載せられており、また特筆すべきことは掲載の俳句の毎一句は作者の母語、英語と日本語訳が専門家によって翻訳されており、載せられている言語は:日本語、英語、中国語、台湾語、ドイツ語、フランス語、リトアニア語、イタリア語、スラブ語、ロシア語、モンゴル語,ポルトガル語、インド語、クロアチア語、ルーマニア語、ハンガリー語、……などである。『2012年第8号』の内容は総ページ227ページ、37国家、151名の詩人の総数445句の俳句、俳画8ヶ国15名、俳論6篇、そのほかにニュージランドと日本の児童俳句が載っている、2011年と同じく全俳句、母語、日本語、英語併記の方式で印刷されている。


このほかにも、「国際俳句交流協会」の組織が日本三大俳句組織、「現代俳句協会」、「俳人協会」、「日本伝統俳句協会」の支援の下に1989年に成立され、国内外俳句界の交流の窓口として、また三協会の交流場所として存在する、そのウエブサイトは「HIA; Haiku International Association」である。


世界俳句界、日本も含めて、はすでに伝統俳句の三つの制約、季語、五七五音節、切れ及び客観写生などに拘泥せず、俳句の本質の短小と余白を残すに重点を置き、結社主宰が盆栽をいじる様に恣意に文字言葉をもてあそぶを良しとせず進み歩んでいるが、しかし日本国内外ではいまだ少なくない人達が(特にコンピューターを使えないインターネットを知らない高年齢者)が俳句界の時代の変化の全貌についていけず、いまだに頑迷な反抗を続けている。


しかし、俳句が「HAIKU」という名で以って世界文壇に認められてから早や百年余りがたちました、この事実の存在がこれらの守旧グループの思惟との間に矛盾あるいは理解しにくい所があるのだろうか、皆で共に思考するに値すると思います。「俳句」、「HAIKU」の本質とは?そして「漢字文化圏」内における「漢語/漢字俳句」の位置づけはどうであるべきか?またその範囲は?


それはそうとしばらく捨て置き、私が思うに、いまさら俳句を詩と否定する人はないでしょう。しかし少し前(1946)桑原武夫が俳句を「第二芸術」と批評した時、一時騒動を引き起こしました。話によると、当時の俳句界の大物に、過激なまたは何の反撃もなかったと言う、いろんな違う噂が流れました。それは兎も角として、少なくとも六十余年後の今までその余波が続いています。しばらく桑原氏の第二芸術論の是非はさておき、結社の主宰者が師匠の絶対性権威と流派の独裁専制的言葉の弄びがいまだ続いている事実が問題であります。


で、「俳句」と「川柳」の関係はまたどうでしょう?山本健吉が「俳句とは?(角川文庫)」の中でこう書いています:俳句の本質は「挨拶、滑稽,即興」であると、しかし現今の俳句選集の中には子規、虚子らの詠んだ滑稽性俳句が見られないと。滑稽はいつの間にか川柳の縄張りに入れられた様です。それはそうと、人生全部の感動を詠む以上、俳句と川柳を区別する必要があるのだろうか?極端な風刺、穿ちの川柳はさておき、俳句に似た川柳、川柳のような俳句も詠まれている現今、いまさら俳句とか川柳とか、区別する必要があるのであろうか?また「即興」に至っては直ぐにでも俳句の「瞬間の感動」の本質を思い出す、さすれば結社の師匠や先輩たちはまだ盆栽を弄ぶように言葉をいじくりまわす必要があるのだろうか?何の意味があるのだろうか?しかし、このような事態はその内に自然と消失するだろうから我々が心配する必要はないでしょう。


鷹羽狩行は日本で作られた俳句以外の俳句を「海外俳句」-海外旅行または海外での吟行での俳句、「在外吟」-外国駐在時に詠んだ俳句、「海外ハイク」-外国人がその母語で詠んだ俳句、さらに言葉によって「英俳」、「漢俳」などに区別しているが、こんな必要があるのだろうか?


いま、私はただ百年の時間を経てまさに「世界俳句」にならんとしている、いや、もう「世界俳句」になっている俳句を考えるとき、それでは何が「世界俳句」なのか?と。