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「俳句」、「世界俳句」、「漢語/漢字俳句」 吳昭新(瞈望、オーボー真悟)、Chiau-Shin NGO

 

会場の皆様、よくいらっしゃいました。
今日、私がお話しますのは「世界俳句と漢字/漢語俳句」についてです。
たぶん諸君のうちの多くの人がはじめて聞く言葉で、そして新しいと共にまた少し困惑されるものかと思われます。と言いますのは諸君がこの会に参加に来られたからには、当然みんなの知識の中ではすでに「俳句」と言う一句に関して一定の概念がおありの筈で、少なくともそれが日本語の短い詩であることはご存知の筈です。


これまで台湾では「俳句」と言う言葉はあまり聞かれない語彙で、一般の方にはあまり知られていません。たとへ知っておられる方でもただ日本の短詩であると言うぐらいという事でしょう。その実、現在文芸に関して少しは関心をもっていらっしゃる方は、多少何が「俳句」であるか、そして90年代の前半においてある一時期台湾でもある人たちが漢語/漢字で俳句を作ったことがあり、「中国時報」の《人間》や「聯合報」の文芸欄で一時扱われたが、間もなく忘れられたことを知っています。


最近、台湾のネットでもたまに日本語の俳句が見られ、また漢字で書いた俳句(漢語/字俳句)もみられます。私の推測ではたぶん若い人たちが同じように華語、漢字を使う対岸の中国において、所謂の「漢俳」が流行している現状をみて、同じような完全な華語教育を受けている台湾の若い人、中壮年者(70歳以下)がたやすく「漢語/漢字俳句」に馴染んでしまう結果になるのには、理解が難しくありません。そして、「日本語俳句」は日本へ留学して帰国した一部分の若い人たちが日本俳句に興味を感じた影響もあると思います。それ以外にも少なからず台湾もしくは日本で日本語または日本文化を研究している学生たちが、どうして日本俳句を修士、博士論文のテーマにしているのかは私には見当がつきません。


「漢俳」に関しては、私は「俳句」の一種とは認めませんが、確かに中国でここ二、三十年来流行している新興(新型)漢語短詩で、詩経、楚辞、唐詩、宋詞、元曲等に継ぐ漢語詩詞の最新の一型であるのには間違いありません。「漢俳」は短小にして、詠みやすく、了解しやすいのです。そして、この情報が氾濫し知識の細分化が繁雑に過ぎる現今の社会に、最も適合した漢語詩詞で、中国或いは漢語界の一般大衆から歓迎される詩型であります、そして皆で共に鑑賞、享受、推奨すべきです。で、その本質は「俳句」とは全く違うゆえ、「俳句」の一類型とは認められませんが、新しい親しみやすい新中国詩形ですので日中両国の詩歌界で、特に日本の漢詩界で中国詩詞の推進のために詠まれることを願っております。その理由は後で詳しく説明いたします。


「俳句」がどうして全世界に広まって、各種の言語使用者から受け入れられ、はてはいかなる言語でも吟詠できる短詩になったか、逆に、少なくない日本の「伝統俳句」の俳人が、このような潮流に反対し、日本の民族文化が世界に広がる事実の栄光を受けたくないのかを了解するために、私はもっとも基本たる「俳句」の本質、変遷歴史および実際状況について諸君に簡単に、列挙して説明をしようと思います。


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《俳句》


(一)俳句とは? 


1.文芸:
文芸は文学と芸術の意味であり、詩とはまた文学の一種であり、一人の人間が大自然、人事、周囲の事物から受けた感動を、韻律、節奏ある形式(声に出し、又は字で書き出して詠む)で表現する言語形式です。

2.俳句 (HAIKU):
‧「俳句」(HAIKU)(広義)は詩の一種であり、世界で最短の詩形の一種で日本に起源し、そのご各種の言語で世界に広まりました。

3.感動:


‧「感動」とは人間が日常生活で出会う全ての出来事(人情義理)に対する反応です。


‧ 動物、たとえば犬はその感情をいろんな行動で表現することは出来るが人間様のようには記号で表現することは出来ません。


‧ 人間様にはこれが出来ます、まさにローラン‧バトルの言う「記号の帝国」の俳句ではないでしょうか。


‧ 感動が人類が日常生活で出会う全ての事柄(自然環境、人情義理)に対する反応であるならば、人間の感覚(視覚、聴覚、触覚、味覚)、人情、人事、倫理、論理及び哲学など全般を含むべく、また主観、客観のどちらをも含むべきです。






4.日本の短詩:


‧ 日本には現在三種類の短詩があります。「短歌」、「俳句」、「川柳」、そして「俳句」は世界で一番短い詩だといわれています。「俳句」も「川柳」も共に十七音の定型短詩であり、ただ「季語」の有無と詠む内容が違うというだけで、時代と社会の変遷により既に「俳句」に似た「川柳」、または「川柳」に似た「俳句」などが詠まれておる現状の下で、「俳句」と「川柳」などと区別する必要はなく、あっさり「俳柳」、「柳俳」または「五七五定型」と言えばいいんじゃないかと言う意見も出ています。


その実、中国の「詩詞」にも七或るいは十字の短詩があります、しかし中国の漢字は一字一音で、一字が表現する内容は約日本語の二~三音に等しく、七~十字の詩詞の内容は日本語の約十四~二十音に等しいので、日本の俳句もしくは川柳と同じ内容量/情報量になります。

5. 俳句の変遷


俳句は日本奈良時代(710~784)の「短歌」から「連歌」、「俳諧」、「發句」から変遷したのです。和歌(短歌)→連歌→俳諧連歌→俳諧→(発句の独立)→俳句。

‧ 短歌(奈良時代;貴族;5-7-5-7-7音) 


‧ 連歌(鎌倉時代;文人;5-7-5,7-7,5-7-5,7-7,5-7-5,......音)


‧ 俳諧(室町時代;庶民;5-7-5音)


‧ 発句(江戶時代;文芸;5-7-5音) 


‧ 川柳(江戶時代;詼諧;5-7-5音)


‧ 俳句(明治時代;正岡子規;文学;5-7-5)