年が明けた

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 ほんの数時間前までは「1年間お世話になりました、来年もよろしく」と挨拶していたが、ひと眠りしたら「明けましておめでとうございます。今年もよろしく」となる。なんとも形式的な、と思いつつもこの様な区切りがないと心新たにする機会もなくなってしまう、のかもしれない。時代と共にか、年齢と共にか、心浮き立つようなことも少なくなった。

 例年元旦は、365日24時間働いてくれる職員への感謝とねぎらいで、各事業所を回る。みんなに感謝!!!

ご利用者も特変なく過ごしておられた。大晦日、在宅の一人暮らしの男性が体調が急変し緊急ショートでお受けしたとLINEが入った。元旦様子を見に行ったら思ったよりお元気そうで安心。みんなのチームワークで大事に至らなかった。本当に有り難い。

 

 元旦の夜7時からEテレでウィンフィルのニューイヤーコンサートを見るのが毎年の楽しみ。生放送です。ワクワクドキドキ心浮き立つ華やかなコンサート。一生に一度こんなコンサートが聴けたらと夢を見なくもないが、900席に30万もの申し込みがあるという。チケットは20万~30万円もするらしい。客席は着飾った世界中の人々の顔が映し出される。日本人らしき人もたくさんいる。まあ住む世界が違うわね。

 コンサートを見ていると嫌でも、戦火で家を焼かれ泥水で命を繋いでいる人たちを思い出さずにいられない。何十万もするチケットを惜しげもなく買える人と、今日死ぬかもしれない、明日死ぬかもしれない人がともに住んでいるこの世界を思わずにはいられない。

 そう言う私はどこに立っているのか?コンサートの世界に憧れ、年末は美味しいものを食らい、対岸の火事のようにシリアの人たちを思い、学校に行けないインドの子供たちに思いをはせる。この嘘くさい自分に向き合い、自分ができることを続けていこう。

 皆さん、フィリピンへの衣類の寄付これからもよろしくお願いします。

仕事と労働

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 介護職が不足している。求人を出しても募集はなかなか無い。

 なぜこんなに敬遠されているのだろうか?今の時代介護だけでなくきつそうな仕事が人手不足だ。若い人が足りないから、労働年齢の人が減っているから?果たしてそれだけだろうか?

 しんどい仕事、割に合わないと思われている仕事が敬遠されているのだろうか? 

 

 そもそも人は食うためには働かなくてはならない。よっぽど恵まれた家に生まれた人でない限り庶民は自分の食い扶持は自分で稼がねばならない。

 嫌々食うためだけにしていることを仮に「労働」と呼ぼう。食うためだけに嫌々(後ろ向きに)労働するならば割の良い方がいいに決まっている。そうなってくると介護の労働は割に合わないかもしれない。介護の仕事は覚えなくてはならないことが多いし、対人援助業務としてのスキルも要求される。専門職としての確立もまだ十分にはされていない。

 しかし労働も日々続けているうちにふと嬉しいことがあったりする。認知症の人が受け入れてくれた、オムツの当て方を先輩に褒められた、食事介助をしてる人がむせずに上手に食べられた。そうこうしているうちに、先輩に言われたことだけでなく工夫をしてみたら、利用者に喜ばれた等々与えられたことをこなすだけでなく業務改善につなげられたりする。少しずつ「労働」から「仕事」になっているのかもしれない。

 楽な「労働」も楽な「仕事」もない、と思う。これでいいのだろうか、と迷ったり、こんなはずじゃなかったとホゾをかんだり、そんなことを繰り返しているうちに、何年も経ってこの仕事も悪くはないな、と思えるようになる。

 そんな時、その人にとって「労働」から「仕事」になったのかもしれない。

 「仕事」は生きること。暮らすこと。自分だけでなく周りの人を支えること。そして自分も「仕事」に支えられていることに気づくこと。

 介護の「仕事」は選択するに値する「仕事」だと思う。「労働」にとどまるのか?「仕事」に成るのかは自分が問われているのかもしれない。 コツコツと働くことは自分を大切にすることにも繋がる、と思う。

 

穏やかに暮らしてほしい

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  94歳の母がいる。かなり認知症が進んでいるが、デイサービスを使いながらまだ何とか在宅で暮らしていた。先日兄から様子がおかしいと連絡があり急遽チケットを取り九州の実家まで行ってきた(今年になって5回目の帰省)。

 これまで何度か担当のケアマネさんとやり取りをしながら、入所サービスの検討をしていたが、春までは持つのではないかと期待していたのだが…。

 体調を崩して、加速的に認知症状が悪化していた。日本語もなかなか通じにくくなっている。私のことも判らないので、ヘルパーに成りすましリハパンを替え、軟菜の食事を用意したり。翌日予約していた病院に受診をした。

 受診中は手をつないで歩いた。体重も30kgも切るぐらいになり、身長も130㎝弱に縮んでしまっている。母と手を繋いだのは何十年ぶりだろう。老い衰えた母は悲しくも、なんと愛しい存在だろう。

 いつも身ぎれいで、きれい好きで几帳面だった人が、毛玉のついたセーターを着、顔を洗うのも忘れている。そんな母を見るのは切なくなる。誰かに身を預けなくてはならないというのは切なく悲しい。

 世話をしていると、その度に「ありがとね。お世話かけるね。」とお礼を言う。母は貧しい出で上級の学校も行けずに働いた人だったが、父と幸せな結婚をし、生まれ変わってもまた父と結婚したいと言っていた。母は幸せだったから私たち身内にもきちんとお礼を言い、人の悪口は言わず、買い物先の店員さん等にも実に礼儀正しかった。幸せだった人生は節度を育て品のいい老婦人に仕立て上げた。

 いつもみてくれている兄が喧喧というと、母は反抗的になる。毎日みている人はなかなか優しくなれない。たまに来て数日間しかいない私は優しくなれる。

 ケアマネさんの迅速な対応で、長期のショートステイを確保してもらった。ショートステイの用意をし、次の日神奈川に帰ってきた。母の行き先が決まってほっとした。

数日後九州にも雪が降った。寒い中冷え冷えとした広い一戸建ての我が家ではなく暖房のきいた日当たりのいいショートステイのフロアーで母が過ごしていると思うと本当にありがたい。

 1週間後兄から電話があった。面会に行ったらすでに兄が判らなかったと。でも穏やかに機嫌良さそうにしていたと。

 介護をしてくれている職員さんに心を込めて感謝。年が明けたら母に会いに行こう。