今回も「質問に答える」の中からの抜粋です。

ーーー自分の思念にはすべて自分が責任を取らねばならないのでしょうか。

「(精神障害などがある場合は別として)一般に正常と見なされている状態においては、自分の言動に全責任を負わなければなりません。これは厳しい試練です。行為こそが絶対的な重要性をもちます。いかなる立場の人間にも人のために為すべき仕事、自分の霊性を高めるべき好機(チャンス)、霊の成長を促進するための機会が与えられるものです。有徳の人や聖人君子だけが与えられるのではありません。すべての人に与えられ、その好機の活用の仕方、ないしは疎かにした度合いに応じて、霊性が強化されたり弱められたりします。」

 

私達人間にとって、とても大切なことを教えて下さっています。この世に生を受けてから今までの自分の言動に自信のある人は、そうはいないのではないかと思います。けれど、そのすべての言動に全責任を負わなければいけないと言われているのです。すべては必ず精算されるということですね。ただ、こういう事を知っている人は、世界中でどれほどいるのでしょうか。行為こそが絶対的な重要性を持つと言われております。でも私達人間は、その行為も自分の欲のためのものである場合が多々ありますよね。けれど、どんな人間にも人に尽くす機会や自分自身の霊性を高める機会、そして霊の成長を促進する機会は与えられているのだと言われています。それは特別な人だけに与えられたものではなく、すべての人に平等に与えられているのです。でも、知らなければその機会があることも、活用の仕方もわからないですよね。けれど、知ることができた人はその機会を有効に活用すれば霊性が強化され、益々霊的に進化できるのです。知らない人は疎かにしているつもりはなくても、霊性は貧弱なままとなってしまう、ということなのだと思います。いかに知ることの必要性が重要かということがわかります。知ることのできた人は好機を逃さず、活用の仕方として出来る限り人に尽くすこと、そして自分の霊性を高める努力を惜しまないこと、このことが肝要なのだと思います。