「常に上を向いて歩んで下さい。下を向いてはいけません。太陽の光は上から差します。下からは照らしません。太陽は永遠の輝きの象徴です。霊的太陽は啓蒙と活力の源泉です。内在する霊に刺激を与えます。自分が本質において永遠なる存在であり何事も修行であることを忘れぬ限り、何が起きようと意気消沈することはありません。霊性は書物からは得られません。先生が授けるものでもありません。自分自身の生活の中で、実際の行為によって体得しなければなりません。それは個性の内部における神性の発芽現象なのです。神性こそ、その無限の愛の抱擁力によって私たちを支えている力であり、その尊い遺産を発揮し宿命を成就するよう導いてくれる力です。宇宙における最大の力であり、極大極小の別なく全ての現象を根本において操っております。魂のそれぞれの必要性を察知し、いかにしてそれを身につけるかを知らしめんと取り計らってくれます。自分とは一体何なのか、いかなる存在なのか、いかなる可能性をもつかを徐々に悟らせる方向へと導いてくれます。ですから、私たちは愛をもって導いてくれるこの力に安心して身を任せようではありませんか。その愛の導きに身を委ね、いついかなる時も神の御手の中にあることを自覚しようではありませんか。

完全なる愛は恐怖を駆逐します。知識も恐怖を駆逐します。恐怖は無知から生まれるものだからです。愛と信頼と知識のあるところに恐怖心は入り込めません。進歩した霊はいついかなる時も恐れることがありません。何となれば、自分に神が宿る以上は人生のいかなる局面に遭っても克服できぬものはないとの信念があるからです。これまであなたを包んできた愛が今になって見放すわけがありません。それは宇宙の大霊から放たれる無限の愛であり、無数の回路を通して光輝を放ちつつ地上に至り、人のために役立たんと志す人々の力となります。気力喪失の時には力を与え、悲しみの淵にある時は慰めを与えてくれます。あなたのまわりに張り巡らされた防御帯であり、決して破られることはありません。神の力だからです。

私ども霊界の者が是非とも提供しなければならない証は、愛が不滅であること、死は愛し合う者の仲を裂くことはできないこと、物的束縛から脱した霊は二度と死にとらわれることがないということです。愛の真の意義を悟るのは霊の世界へ来てからです。なぜなら愛の本質は霊的なものだからです。愛は魂と魂、精神と精神とを結びつけるものです。宇宙の大霊の顕現なのです。互いは互いのために尽くす上で必要ないかなる犠牲をも払わんとする欲求です。邪なるもの、害なるものを知りません。愛は己れのためには何も求めないのです。」

 

今回の内容も心に深く響き、涙ながらに読ませてもらいました。どんな時も上を向いて歩むことが大切だと言われます。確かに太陽を見上げると心が晴れやかになりますよね。内在する霊に刺激を与えてくれるからだったのですね。また自分の本質が永遠の存在で、この世は修行に来ているとのことを自覚している限り、何が起きようと意気消沈することはないと強く言われています。そして私たちは生活の中で、実際にいろいろな体験をすることで霊的真理を会得していかなければいけないのです。更にその体験を通して、神様のお力を信じる心を強固にして行くことこそが最も肝心なのだと思います。その結果、恐怖心というものはなくなるのでしょう。それは自分に神様が宿る以上は人生のいかなる局面に遭っても克服できないものはないという信念が強固になるからなのだと思います。そこには恐怖心などは入りようがないとのことです。そして私が今回の霊訓で最も心に響いた言葉は「愛の真の意義を悟るのは霊の世界へ来てからです。」でした。前回、愛というものもわからなくなる、愛とは何なのかという問いの答えを頂いたように思ったからです。やはり愛の真の意義はこの世ではわからなくていい、というかわからないのだと思います。また愛の本質は霊的なものだと言われています。魂と魂との段階で理解できるとしたら、今は漠然であっても、人のために尽くそうという気持ちだけでいいのだと思えました。今回本当に心からそれを感じることができて、余りにも有難く、涙がこぼれ落ちておりました。