「人生とは生命そのものの活動であり、霊的であるが故に死後も永遠に続くことは立証可能な事実です。かくして人間は地上にあっても霊的存在であり物質的存在ではないこと、すなわち身体を具えた霊であって、霊を具えた身体ではないということを自覚することができます。物質界への誕生は測り知れない価値ある遺産の一部を享けることです。霊であるからこそ物質と結合し、活動と生命を賦与することができるのです。その霊は宇宙の大霊の一部であり、本質的には神性を具え、性質的には同種のものであり、ただ程度において異なるのみです。

我欲を棄て他人のために自分を犠牲にすればするほど内部の神性がより大きく発揮され、あなたの存在の目的を成就し始めることになります。家族的情愛や恋愛が間違っていると言っているのではありません。外へ向けてのより広い愛の方が上だと言っているのです。排他的の内向的愛よりも発展性の外向的愛の方が上です。いかなる資質にも上等のものと下等なもの、明るい面と暗い面とがあるものです。家族的な愛は往々にして排他的を帯びます。いわゆる血のつながりによる結びつきです。それは進化の過程における動物的段階の名残りである防衛本能によって支配されていることがよくあります。が、愛の最高の表現は己れを思わず、報酬を求めず、温かさすら伴わずに、全てのものを愛することができることです。その段階に至った時は神の働きと同じです。なぜなら自我を完全に滅却しているからです。愛は人のために尽くし、人を支え、人を慰めんと欲します。愛は慈悲、同情、親切、優しさとなって表現されます。愛はまた、滅私と犠牲の行為となって表れます。

霊の世界へ来た者がなぜ地上へ舞い戻って来るかご存知ですか。大多数の人間にとって死は有難いことであり、自由になることであり、牢からの開放であるのに、なぜ戻って来るのでしょうか。霊の世界の恩寵に存分に浸っておればよいはずです。地上の住民を脅かす老いと病いと数々の煩悩に別れを告げたのです。なのに、地上との間に横たわる測り知れない困難を克服してまで自ら志願して帰って来るのは、あなた方への愛があるからです。彼らは愛の赴くところへ赴くのです。愛のあるところに存在するのです。愛あればこそ役に立ちたいと思うのです。霊界において如何なる敵対行為が私たちに向けられても、妨げんとする邪霊集団の勢力がいかに強力であろうと、それが最後には功を奏することができないのは、そうした愛に燃えた霊たちの働きがあればこそです。これまでに得させて頂いたものを喜ぶべきです。浴し得た恩寵に感謝すべきです。愛は死よりも強いこと、立ちはだかる障害も愛によってきっと克服されるという認識を得たことを有難く思うべきです。あなた方を包む愛によって存分に慰められ、支えられ、励まされるがよろしい。その愛の豊かさはとても私には表現し尽くせません。時には何とか伝えてみようと努力することもあるのですが、あなた方の心臓の鼓動よりもなお身近にあるその愛の深さを到底人間の言語では表現できません。あなた方がこれまで、愛に発する利他的行為、英雄的行為、奉仕的行為、滅私的行為による目覚ましい成果を見て参りましたが、霊界の高級霊が生命力そのものを結集してあなた方を温かく包む、その愛の底知れぬ潜在力は到底推し量ることはできません。もっとも、それも受け入れる器がなければ授かりません。それが摂理なのです。理屈は分かってみれば簡単です。資格ある者が授かるというだけのことです。霊力は無尽蔵です。それに制限を加えるのは人間の受容能力です。人間が少しでもその受容能力を増せば、その分だけを授ける用意がこちらにはいつでも出来ております。が、それ以上のものは絶対に授けることはできません。」

 

今回の内容には、ため息しか出ません。ここまでのことができるようになるのはいつの日のことか・・・と思わずにはいられないのです。私達人間は霊であり、死後永遠に続くということは理解できます。また身体を具えた霊であるということも頭では理解できます。けれど、実際に真の意味で霊だという自覚があるかと問われると、やはりハッキリとイエスとは言えないのです。なので瞑想では、自覚できるようにお祈りしていますが、簡単にはいかないようです。ただ、いつか自然に自覚できる時が来るのかも知れません。その方が真実なのかも知れないとも思うのです。そんな簡単に自覚できるものではないからです。また愛というものもわからなくなります。家族や恋愛の愛は、自ずと内から自然と出て来るものだから、それが愛とずっと思ってきました。けれど、外に向けての広い愛はどうやったら、内から出てくるのだろうかと思うのです。もちろん、人類が幸せになって欲しいとの願いはあります。またヒーリング時も顔も知らない人なのに、心から良くなって欲しいと願い、涙まで出る時もあるのです。でもそれ以外には、内からほとばしり出るほどの想いはないように思います。愛とは何なのでしょう。それがわからないうちは、受け入れる器にはなれないのかも知れませんね。けれど、霊界の高級霊の方の愛を受け入れる資格を是非とも身につけたいと切に願っています。そのためにも、人の為に役立つことをして行きたいと心から望んでいます。