乱歩酔歩--Random Walk official blog-- -220ページ目

映画「GODZILLA」を観て感じたこと。

須々木です。

先日見た映画「GODZILLA」(ギャレス・エドワーズ監督作品)について、つらつら書き記しておこうと思います。



さて、本作について語る前に、まずは「ゴジラ」についてざっくりと整理を。

さすがに「ゴジラ」の名を知らない日本人はいないと思いますが、東宝の特撮映画の怪獣の名前であり、シリーズの名前です。

終戦(すなわち原爆投下)よりおよそ10年を経た1954年に、第1作「ゴジラ」が公開されたわけですが、核に対する非常に強いメッセージ性を持った一連の作品群は、特撮怪獣映画というジャンルを確固たるものとし、その後続いていきました。


通称「昭和ゴジラシリーズ」と言われるのが、第1作から第15作(1975年)まで。

続いて、「平成ゴジラシリーズ」と言われる第16作(1984年)から第22作(1995年)、「ミレニアムシリーズ」と言われる第23作(1999年)から第28作(2004年)があり、その後はありません。

僕自身、「昭和ゴジラシリーズ」のほぼ全作品と「平成ゴジラシリーズ」全作品は見ているのですが(「ミレニアム」は見ていない)、特に「平成」の印象は強く、わりと強い影響を受けているように思います。


世界的な知名度をもつ「GODZILLA」は、1998年と2014年(今回)の2度に渡りアメリカ版が制作されました。

1998年版は、「インディペンデンス・デイ」などで知られるローランド・エメリッヒ監督によるものですが・・・

まあ、これを「ゴジラ」と呼んで良いのか・・・

見たことのある人は分かる通り、あらゆる点で本家のゴジラとは似ても似つかない生き物が登場するわけですが、当然、ゴジラファンからの批難の嵐が巻き起こりました。

ちなみに、個人的には、パニック映画として十分面白い作品だったと思います。

もちろん、「インディペンデンス・デイ」より面白いとは言いませんが、普通に人にすすめられるくらいなのではないかと。



そして、今回の「GODZILLA」ですが、これは1998年版とはまったく別で、日本版のリブートみたいな扱いのようです。

ゴジラの外見的特徴も東宝版をほぼ踏襲し、日本人の知ってるゴジラがばっちり現れてくれます。

正直、これだけで結構アツい。

世界的なヒットを見る限り、一定の評価は得られているようで、往年のゴジラファンとしては嬉しい限りです。




さて、劇場で見た率直な感想ですが・・・

「まあ、良かった」

って感じでしょうか。。



良かったとは思うんです。

思うんですけど、手放しで「素晴らしかった!」とは言えない。

個人的には、なんとももどかしい気持ちが残ったりします。

ただ一方で、監督の「ゴジラ愛」は感じました。

かなり溢れていました。







※以下、本編の内容に触れます。ネタバレ注意!!







では、中身についても個人的見解を書いていきましょう。

なお、あくまで個人的見解・解釈なのであしからず。




まず、ゴジラシリーズで常に重要な問題が、「ゴジラ」をどう描くか? というところです。

日本版でも、人類にとって敵っぽいときもあれば味方っぽいときもあって、実は一貫性がありません。

ただ、結局総合すると、ゴジラは、人類にとって味方でも敵でもない。

というか、ゴジラにとって人類とかどうでもいい。

敢えて言うなら、「ゴジラはゴジラ」としか言いようがないと思うんです。


ただ、本作でのゴジラは、明らかに「神」です。

英語のスペル「GODZILLA」の“GOD”のイメージが強いのか、監督の「ゴジラ愛」が強すぎるのか、もしくはアメリカの思想の傾向によるものなのかはわかりませんが、「神」として描かれたゴジラは、正直なところ疑問符でした。


「ゴジラはゴジラという唯一無二のキャラクター性をもつ(「神」というキャラクターではない)」という部分を描けなかったことは、かなりの痛手のように感じました。

それでも、ただのモンスターではなく、ゴジラを描き出そうという試み自体は随所に感じられたので、一人のゴジラファンとしては評価したいところです。

しかし、それでも「アメリカ的なヒーローモノ」の色が濃くなってしまうのは、アメリカ映画の根本的な傾向なのでしょうか。


多少の偏見が入っているかもしれませんが、アメリカというのは、多くのものを単純化する傾向があるように思えます(良い意味でも悪い意味でも)。

単純な二律背反に帰結し、中間の曖昧さは排除されることが極めて多い。

映画であれば、「ヒーローと敵」という構造です。


ただ、ゴジラというのは、元来、非常に強い曖昧さをもっている存在です。

核に警鐘を鳴らす存在でありながら、放射火炎を吐き出し都市に壊滅的なダメージを与える。

にもかかわらず、人類を窮地から救ってみたりする。

そして、それに対し人類は、畏敬の念と親しみを同時に抱いたりする。

単純化するにはあまりに不向きな存在です。

この日本的とも言える曖昧さが、ゴジラをゴジラたらしめるのに大きく影響している。

ただ、同時に、これはアメリカがあまり得意ではない部分なのかなとも思います。


※個人的には、この感覚の違いは、一神教と多神教の文化圏の違いのような気もする。一神教は、やはり二項対立で世界を説明しようとする傾向が強くなるが、多神教は複雑すぎて曖昧な部分を認めざるをえなくなる。



つまり、ゴジラを「神」として描くのが個人的には釈然としなかったということです。


「GODZILLA」じゃなくて、「GOJIRA」だと思うんですよ、本当は。

※「GODZILLA」のスペルは東宝によるものだが。


ゴジラに対する大きなリスペクトを感じるものの、その方向はややずれているという印象でした。

これは、「ラストサムライ」で「サムライ」に対するリスペクトは感じるものの、「これはサムライとはちょっと違うでしょ?」と感じるアレに近い感覚です。

好きなのは分かるし、リスペクトもわかる。

だけど、肝心な所が抜けている。


その点では、一定の質をもった二次創作のような感じだったのかもしれません。



また、個人的な嗜好の問題もありますが、シナリオも若干いただけない感じでした。

正直、序盤はかなり面白かった(ゴジラ出なかったけど)。

あまり期待せずに見に行ったので、逆に「思ったよりいいんじゃないかコレ?」と思ったりもしました。

なのに、その後、徐々にシナリオ軽視(アメリカ映画のステレオタイプ)、特殊効果偏重という感じになり、最後も普通に無難に終わってしまった感じでした。



日本のゴジラシリーズでも、シナリオの良さは作品ごとにわりとはっきり差がつきますが、「平成ゴジラシリーズ」は全般的にシナリオが良い印象(ただし「vs スペースゴジラ」を除く)で、特に「vs ビオランテ」「vs キングギドラ」「vs モスラ」は本当に良かった。

そして、改めて考えると、「人間ドラマのパートがショボいと映画自体ショボくなる」という傾向があるように思います。

つまり、「怪獣映画だけど、怪獣のバトル以外を軽んじるとすべてが崩れる」というものです(もちろん見せ場は怪獣のバトルシーンなのだが)。

その点で、今回の「GODZILLA」は、序盤の人間ドラマパートの良さが、後半でほとんどスルーされてしまった点がもったいなかったように感じます。

怪獣のバトルだけじゃない作品をつくろうとしていた気がするのに、後半は、脚本的に他の作品のコピペな感じでした。

残念!



あとは、多くのゴジラファンは感じたと思うのですが、最後のゴジラの熱線(口から出すやつ)・・・さすがにショボすぎませんでしたか??

科学考証の結果かもしれませんが、ゴジラの代名詞みたいなものですし、ド派手にやって欲しかった。。

アメリカなんだから、やりすぎってくらい派手にかまして欲しかった・・・。



ただ、いろいろ言ってはいるものの、1998年版で「ただの凄い生物(というか、大きなイグアナ)」だったGODZILLAが、今回はちゃんとに「怪獣」になっていたというのは良かったです。

大きな一歩です。




一方で、本作を通じて、ゴジラが思っていた以上に世界に知れ渡っていることを実感しました。

タイトルこそ「GODZILLA」ですが、本作の上映時間中、ゴジラにスポットを当てている時間はとても短かったのが驚きで、「タイトル変えた方が良いんじゃ?」とかちょっと思いましたが、これは逆に、「今さら説明してもくどいでしょ?」ということなのかもしれません。

何作もシリーズをやってさんざん描いた後の作品であるかのような説明省略っぷりで、ゴジラ初体験の人にはかなり不親切な映画でしたが、実際のところ世界的にヒットしているわけで、結局、みんなゴジラを知っていたのでしょう。

日本人がゴジラを知っているように、世界もゴジラを知っているというのは、今回強く感じたことです。



さて、いろいろ書き散らしてきましたが、ここで本作を総括しましょう。

今回の映画「GODZILLA」 はどういう作品なのか?


個人的には、「ゴジラ好きがゴジラに肉薄(同一化)しようと挑戦した作品」と思いました。


そしてこれは、二次創作が一次創作に挑むような、それこそ、生身の人間がゴジラに挑むような、そんな途方もない大きな戦いの産物でもあります。

故に、この戦いぶりには、素直に賛辞を送られるべきだと思いました。





sho





サイトリニューアル進捗状況等

ワールドカップが終わったら総括ブログを書こうと思っていたら、完全に機を逸してしまいました。
須々木です。
とりあえず、新生アギーレジャパンを応援したいと思います。




さて、6月から7月にかけてはサッカー三昧・・・と見せかけて、基本的には同時進行で作業していたので、実はいろいろはかどったり。

最近は、サイトリニューアル作業をメインに、あとはサークル的にちょっと力を入れている○○○(名前はまだない)などをやったりしていました。



○○○(本当に名前はまだない)については、近々、遊木氏よりなんらかのアナウンスがあるとかいう話を風の噂で聞きましたが、どうなんでしょう。

苦労しつつも、なんやかんやで面白くなってきた気がします。

そんでもって、もっと面白くなりそうな。

詳細はここでは触れませんが。




サイトリニューアルは、現在の“2代目”から“3代目”への移行となるわけですが、今更ながら自分の無知っぷりと向き合い勉強しつつの作業です。

もっと前から勉強してりゃよかったな・・・とか言っててもしょうがないので、手あたり次第に学んでいます。

ただ、とりあえずはRandom Walkっぽい何かにはなるのではないかと。。




ところで、先日ツイッターで





・・・などと言っておりましたが、ちょっと7月中は無理でした。。

一気に完全移行というわけではありませんが、一発目は8月ということになりそうです。

引き続きガンバリマス。。



あー、ビアガーデン行きたいな。




sho


身体、少なくとも3体は欲しいですよね。

お早うございます遊木です。

いやぁ、7月ももう終わりですねぇ。今月全然ブログ書いていないことに気づき、急遽キーボードを乱れ打ちしている次第です。


今月はちまちまいろんなことが重なって、らくがきもFreeの警官凛ちゃんだけしかできんかった…。




そういえば、気付いたら今期は結構アニメを見てました。
取りあえず今は、残響のテロル、Free!ES、セーラームーンC、黒執事、PSYCHO-PASS(新)、ハイキュー見てます。正直リアルタイムで追うのは毎期1、2作品なのですが、何だか今期はFreeとか黒執事とか、1期から見てたものの続編が多かったので、リアルタイム視聴率が高い…。

PSYCHO-PASSには嵌められました。単なる良心的な総編集版なのかと思っていたら、微妙に場面増えてるっていう。木曜はテロルと続けて90分ノイタミナ枠楽しんでます。テロルは内容はまだ判断できませんが、取りあえず音楽と映像は良い。
黒執事は3期ですが、2期の続編ではないので1期の途中まで見てれば話わかりますね。まぁサーカス編までは漫画持っているのでシナリオよりアニメーションの演出を楽しんでる感じです。というか私は諏訪部さんの葬儀屋が聞ければ良い。
Freeは安定の京アニクオリティなので、安心して見てます。ハイキューは勧められて見てますが、私は日向と西谷のチビコンビが好きです。可愛い。…ツッキーも良いが。

まぁ問題はセーラームーンですよね。
私はどんぴしゃのセーラームーン世代ですが、正直昔の印象が強すぎるので新しいのはどうかなぁと恐る恐る見出したのですが…意外や意外、ほとんど抵抗なく見れました。
一番の懸念は声優さんでしたが、今の所ルナに多少違和感を覚えるものの、他は全然大丈夫ですね。まぁ、まだ亜美ちゃんまでしか出て来てませんが…やっぱり多少無理をしてでも、うさぎの三石さんだけはそのままにして正解だと思います。
演出を現代寄りにしてても、かつての雰囲気が壊されてないのは良いなぁと思いました。まもちゃんがいつもあの恰好なのは気になるが…。
一番の問題は隔週放送なことでしょうか…一応26話まで放送する予定らしいですが、そう考えると結構期間長いな。どこまでやるんだろう?クインベリル倒すところまでかな…。
ちなみに私は、セーラームーンシリーズはスーパーが一番好きです。




まぁそんな感じでアニメ充してますが、7月は半ばまでネーム作ってました。





ページ数は少なかったのですが、今まで描いてこなかった日常系を描いたので思いのほか時間がかかりました。そもそも日常系は作品自体あまり見ないので制作も手探りでしたが、普段作らないものを頭悩ませて作ると、結果出来上がったものが面白かどうかは別として、すごい勉強になります。次はファンタジー系を作る予定。



そして今は動画の絵コンテを必死にやってます。

現在サークルメンバーはサイトリニュに向けて各自制作に勤しんでいるわけですが、私は初のちゃんとした動画(っつても4分ぐらいだが)に挑戦中です。
最初はノリとテンションでいったれー!っとAEをいろいろいじっていましたが、いくつかサンプル作って「アカン。これはしっかり絵コンテ切ろ」と思い直しました。絵コンテ大切!

正直絵コンテが出来上がったら9割終わったも同然だと思ってます←それはない




あとは、サークルメンバーといろいろ出かけた行事をエッセイ漫画にしたり(これもサイトリニュの際に更新する予定)、個人のイベント参加のプロット考えたり、制作面は非常に充実しています。ただし、机に向かうかPCに向かうかしかしてないので、背中と肩の凝り方がやばい…。

明日は実家の方の手伝いで帰省するので、ちょっち身体を解して来ようと思います…。



では!
皆さん熱中症には気を付けて!


aki

乱立のチンアナゴ

遊木です。
扇風機をいつ動かしだすか悩む日々を過ごしております。


さて、先日携帯のメモ帳を漁っていたら5月にサークルメンバーと行った水族館での出来事がメモってあったので(ブログのネタにしようとして忘れたものだと思われ)、今更ですがメモの内容をざっくりと漫画にしてみました。

ちなみに携帯には、「ちんあなご 乱立 わろす」とメモってありました。
…自分でいうのも何ですが、このメモはないと思う。




5月某日、水族館を満喫した我々は、帰宅前にお馴染みのショップでお土産を漁っていました。どうやら夏野ちゃんがチンアナゴをいたくお気に召したようで、お土産ショップでもチンアナゴの商品を見ていたのですが、これはそのときの出来事です。
ちなみに配役等々は忘れたので、ノリで適当に決めました。





このチンアナゴはネットで引くとすぐに出てくると思います。
気になる方は「チンアナゴ ぬいぐるみ」でググって下さい。

一見かわいいんですけど、よく見ると絶妙にキモイという。
いや、キモイというよりはそこはかとなく漂うシュールな空気がなんとも言えないといいますか…ううむ。


ちなみにチンアナゴが乱立した部屋のイメージが逆光なのは、私の脳内で浮かんだ映像がこんな感じだったからです。

また水族館行きたいですねェ。



aki

AE初心者が花びらを舞わせてみた

遊木です。

動画マジ苦戦中です。

何ですかね。最近ニコ動とかに投稿される動画って、数年前なら「プロの所業」って言われるようなのばっかりですが(っていうか今も言っていますが)、これは編集ソフトが誰でも手軽に使えるようになったせいなのか、それとも単純にユーザーの技術が向上しているせいなのか…いや、まぁ両方だとは思うんですけど。



先日、今までやろうやろうと思いつつ、なんとなくやってこなかった「花びらを飛ばす」というモーションをやってみたのですが、まぁなんていうか残念な感じになりました。
…は、初めてだから上手くいかなかっただけだもん…!


多分ネットで探すともっと懇切丁寧に説明してくれている所は無数にあると思いますが、ざっくりと動作説明載せておきます。



<After Effectsで花びらを舞わせる(超初心者編)
こんなのです。

①まず、背景が透過された花びらの画像を用意します。


↑1分クォリティー。こんなんで平気です…多分。

②そうしたらAEに読み込み、エフェクトの[シュミレーション]⇒[シャター]をかけます。

③そうしたら次に、とにかく数値をいじりまくります。
いじるのは下図の所が主です。今回はこんな感じに。[物理的性質]の所をうまくいじれるかで、花びらの舞加減が変わるんだと思います。



④今回は舞加減を調節した後にレイヤーをコピーして、数値を変えたやつをもう一個配置してます。

⑤この時点で果てしなく嘘くさい花びらができたので、ひたすら[ブラ―&シャープ]⇒[ブラ―(ガウス)]をかけまくります。これで完成。



作業工程はそんなに複雑じゃないのですが、自分の具合が良い数値を見つける作業が果てしないです。懐に余裕がある人は物理演算をやってくれるプラグインがあるので、そっちをお勧めします。
ただ、あくまでもプラグインに頼らずに頑張るという人は、「これは良い感じにできた!」ということがあれば是非、メイキングなどでその過程を紹介して欲しいですね。私のために。


日本は外国人が「日本人はみんなクリエイター」と思うほど、素人の技術も他国と比べると高いそうです。
現代はネット社会で簡単に情報の共有ができ、知らない相手とも切磋琢磨できる環境が整っています。そういう利点を活かしつつ、お互いの技術を磨いていきたいですね。


aki