前回のつづき
例えば 子供の頃 姉妹で喧嘩をすると
姉は母に 自分に正当性があると思う所だけを訴えに行く
母はめんどくさいから
言いに来た側の話を 全肯定するよーな言葉をかける
そこで 「違うんだって~ こーいう風に思ったから」 と
自分から 自分の言い分を母に主張していかないと
姉の言った事が正しい事になり
悪いのは私になってしまっていた
また そっくりそのまま 逆のパターンもあった
○○はこーやって言ってたけど ××の考えはどーなの?と
主張して行かない側にも言い分はある ってことを
ちゃんと理解してくれていたり
話を聞かせてもらうのは
どっちが正しいのかを 決めるためじゃなく
同じ事が次に起きないよーにするためなんだよ
なんて・・・ 平等に受け止められる経験をしてきたなら
前回のブログに書いたような必死さ って
持つ必要のないものだったんだろーな
今、講座やカウンセリングで
受け止められる経験を 繰り返しさせてもらっているうちに
私が必死にならなくても
〇〇(私)には〇〇の考えが ちゃんとあるということを
分かっていてくれる人もいるから 大丈夫だよ私・・・
と 自分に声をかけれるようにもなった来た
今回、自分と向かい合った内容って・・・
スゴイことかも
先生に 何度も何度も 言ってもらっていたことって
ここに繋がってたんだ・・・
私は うん!!
子供も心に こーいう核が作れる親でありたい
(↑伝わりにくくてスイマセン)