住む世界が違う
結構、自分の感性と会わないなと思ったことがありませんか。
私は、あります。
人の好みは、人それぞれです。
食の好みにしても、そうではないでしょうか。
学校教育では、感性の合わない人も一緒にさせられます。
私のときは、とくに道徳という時間があって、
皆と仲良くしましょうという動画を見させられました。
皆と仲良くするのは究極を言えば、トラブルを起こさないことです。
トラブルを起こさないためには、会わない人には近寄らないということも必要だと思います。
しかし、近寄らないということは、道徳の時間では教えてくれませんでした。
むしろ、自己主張は抑えて、我慢しろみたいな感じでした。
それは、何も主張しない人は、だれともトラブルは起こさないでしょう。
当時は、そのような人間を作りたかったのでしょうか。
自分の主張ということは、自分の意思や、やりたいことです。
これらを押さえて生活して何が楽しいのでしょうか。
当時は、歯車として働く人間が欲しかったのだと思います。
私の友人に、自分は歯車になりたいと言っていた人間がいます。
友人の主張では、歯車にすらなれない人間は大成するハズはないというものでした。
一見正しそうですが、成功するためには、歯車が通過点ととらえているところ検証不足です。
天才は、社会に適合できなかった例も多いことが多くあると思います。
逆に、こちらの方が多く言われていることかもしれません。