凍てつく京都、あるいは末端(前篇)。 | デュアンの夜更かし

デュアンの夜更かし

日記のようなことはあまり書かないつもり。

 12月18日(金)

 昨日、冬の京都観光に末端を忙しくした。朝6時半というふだんの自分にしては驚愕の早起きをしてまで向かったひとつめの訪問地は、桂離宮だ。秋ごろ、父が葉書にて予約をとってくれて参観が許可されてからというもの、静かに、しかしふつふつとこの日に向けて気持ちを昂らせていたのだった。

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 総面積約6万9千㎡を誇るそこは、宮内庁の管理下にある。公平な抽選のみ。逆に言えばいくらお金を積んでもそれによって参観の可否が左右されることがないことや、一から十まで案内人による引率が徹底されていることなど、厳重な警備体制が敷かれており、ある種の物々しさを覚える。

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 骨抜きに暖房が利いた待合室でその時を待っていると、お待たせしましたと案内人らしき男性が現れた。上質なカシミヤのロングコート、袖から覗くカフスボタン、ダブル裾のスーツ。意思の強さを感じさせるまっすぐな眉にすっきりとした一重まぶた、言わずもがなの黒髪という瀟洒なその男性は、無理に読みとろうとすれば歳は30代前半か。偏見の眼鏡を外してもそう見えてしまう、「宮内庁」という風格漂うその姿に面食らい、まだこれでも時期尚早だったか、と思わず尻込みしそうになった。

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 およそ1クラス単位の団体で廻っていく。実際に観覧がはじまると――離宮内の雅は言うまでもなく、ボクは一瞬でこの案内人のとりこになった。おもむろに手にはめたグレーのレザーの手袋。時間をかけて、すっとそれが手に収まると解説がはじまる。「後陽成天皇の弟、八条宮初代智仁親王によってこの桂離宮は……」、「造営は元和元年……」、「宮家とは、親王・法親王・諸王などの……」。凡人には読みあげることすらも困難な解説を、彼はただの一度も詰まることなく立て板に水ですらすらと暗唱し、そして完璧なタイミングで学識薫るユーモアをはさむ。10分も経たないうちにその陽光は、自分だけでなく周りもそうだと思えたナーバス、緊張感を融かした。

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 建物や庭園にもよるが、それらは今より約350から400年前につくられたものである。この考え方がお門違いであることは承知していることもあり、だから今回はまったくそうではない。すなわち、「そんな昔によくこんなことができたものだ」という、今を最上としての昔への賛美ではなく、直感でただただ「すごい!」と思う創意工夫が、すべてに散りばめられているのだ。奥行きを錯覚させるための敷石の配置、あえて広く全景を見渡せないようにするための目隠しとしての植林。主題としてあるのは「月」、だから、最もよい月(昇る月、沈む月、池に浮かぶ月!)を見られるよう設計された各建物、窓。それらは、すべてに意味がある、と言わんばかりで、細部に至るまで施された巧妙な「遊び」を含め、古今東西、未来永劫、誰が見てもおもしろい! と感じるかもしれないと思った。そしてそれはとりわけ、男にとって、だと思った。男性は、どれほど優れた人物であっても「男子」の側面は必ず持つ。我々男が「男子」になるときとは、ものごとに夢中になったときであり、究めたい、と思った瞬間である。すなわち、我々はどこかに「マニアック」な心を持っており、この桂離宮はその部分を刺激するよう設計されているのだ。

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 風景の話もしておかなくてはならない。語弊があるかもしれないが、この桂離宮は例えばお金などの厄介事を「惜しんではならない」のだと思った。目に見えるものすべてが徹底されて見事であり、体の震えは寒さのせいばかりではなかっただろう。視界は純日本人の自分が見ても恍惚するもので、盆栽の覚えは皆無であっても、歪に曲がる松の木にため息が漏れたのはそれが理屈ではなく完璧であることを物語っている。清掃員もまた徹底されており、まちがっても電動の用具などは使用されず、日本古来の材料を用いた道具で、すべて人力で為されていた。最もよく目に入った清掃婦に至っては、服装までもが手ぬぐいなど古来の日本の作業着で、現代では少しも効率的でなくとも「惜しんではならない」を徹底する姿勢に涙がにじんだのは、寒風で目が乾いたせいだけではないだろう。ボクは日本人であることを誇りに思い、半面、残念だとも思った。外国人として、まっさらな目でこれを見たかった――と。多く訪れるであろう外国人には、この「Katsura Imperial Villa」はどう見え、どう伝えるのだろうか。

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 1時間余りの観覧を終え、暖房で骨抜きになりながら、“アトラクション”と思った。従来のそれのような一見しての派手さはないまでも、目で見たものを頭に持ち帰りそこで想像をすれば、ひとつひとつはどんな乗り物にも負けない充足感に化ける。「すべての大工が訪れるべき場所」と言われる桂離宮だが、すべてのアトラクション関係者もまた訪れるべき場所かもしれない。

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 退場時間いっぱいまで堪能して、出ていく人のほとんどが、気品あふれる凛々しい「ガイドさん」に心いっぱいの会釈をしているのを見て、日本の「アトラクション」は誇りだ、と思い、自分もまたその人たちの後ろに続いたのだった。(冬の京都観光、長いので続きます)