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ラマスのブログ

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最近、昔のように「ふと思いついたことを日記に書こう、ブログに書こう」と思っても、途中で「まあいいか」と諦めてしまうことが増えました。年齢のせいなのか、気力の問題なのか──本当のところは、言語化するのが少し面倒になってきたのだと思います。


そんな中で、AIと心理の学びをもう一度深めようとしていた私が、最近購読し始めたのが 「Dr.kagshunのメンタル×AIラボ」 です。まさに、自分が関心を持ち、実践したかった世界のど真ん中にある内容でした。
かぐしゅん先生は、これからAIが人間社会に与える大きな影響、そしてそれがメンタルにも及ぼす変化について述べています。かつて機械やインターネットが生活の一部になったように、AIも同じように日常に入り込んでいく。その便利さの裏には必ず副作用がある──先生の指摘は非常に納得のいくものでした。


私自身も、機器の使い方、経済や就職の相談など、専門的な領域を含めて多くのことをAIに頼っています。1年前よりも精度が格段に上がり、本当に驚くほど便利です。
最近は「AIに代替される仕事」という話題がよく出てきます。
計算や事務処理のようにパターン化された業務はもちろん、法律・医学・財務・心理なども、ある程度はAIが処理し、適切な答えを返せるようになっています。


では、AIに代えられないものとは何か。


私は教育・心理の領域にいるので、こう考えます。


「何も言葉にせず、ただ“そこに一緒にいる”こと。」


NHKのAI番組(タモリさん×山中教授)で、AIには“風を感じること”ができないという話が出ていました。私はその指摘に強い共感を覚えました。
AIは「風が吹いている」と言語化することはできます。しかし、風を肌で受け取り、その温度や匂いを伴って「感じる」ことはできません。
言ってしまえば、AIは言語化に特化している存在です。


神田橋條治先生も、言語化しすぎることの危険性や儚さについて述べています。私自身、その全てを理解できているとは言えませんが、「言葉にしすぎると『感じ取る力』が弱っていく」という感覚には、確かに覚えがあるのです。


坂本龍一さんの最後の映画でナレーションを担当した田中泯さんのインタビューで、アナウンサーが

「坂本さんと深いところでつながりがあったのですか?」
と尋ねた際、田中さんはこう答えています。


「深いかどうかは分からないけど……“深さ”とは沈黙のことなんじゃないかなと思う。
自分の中で、まだ言葉が見つからないでいるようなこと。
それを大事にしているし、体のどこかにずっとある。」


私はこの言葉に、強く心を揺さぶられました。
まさに「自分が確かに“在る”という感覚」を言い当てているように感じたからです。

“沈黙”という大げさな言葉を使わなくても、


話さなくても、語らなくても、ただ一緒に居る——。


それだけで人の心や体は支えられることがあります。
これは、どれだけAIが進歩しても、AIには代わることのできない、人間だけの営みだと思います。