忙しいのでメモ書き風に、ちんどん屋の話。そば屋が開店して、ちんどん屋が大通りを流してそば屋の宣伝をする。ちんどん屋が得られるのは、そば屋が支払えるだけのコスト。総体でみて、江戸中の広告宣伝の総量は、ちんどん屋の努力とは関係なく、そば屋など江戸で業務をしている店子の売上に依存する。売上が増えなければ広告宣伝費が払えず、投資ができなければそば屋が開店できない。
 枠をさらに広げて、コミュニケーションに支払えるコストの限界量というのも存在する。広告も通信も報道も、全部社会からするとコミュニケーション。それそのものが、付加価値を与えているわけではない。ただ、より効率よく社会を動かすためのツールだ。

 その業界規模は、すべて実態社会の需要から導き出される数字に依存する。広告業界の大きさはGDPの1%といい、投資銀行はその国の市場規模の0.6%程度が天井になる。

低所得者のネット利用率低下…情報通信白書
http://www.yomiuri.co.jp/atmoney/news/20090710-OYT1T00379.htm

 ネット利用時間、利用率という点では、利用総量、利用に対する金銭の支出度合いというのは必ずしも分からないから、なんともいえないところだけれども…。白書読んでて思ったのは、通信業界全体の「飽和」という考え方。いや、もともと通信という世界は飽和していたんだよ。だけど、何か需要の実態を超える妄想のような売上目標を前提に投資を集めてマネーが入り込んできてしまったから、効率の悪い赤字会社が吐き出す赤字も業界全体の業績にゲタを履かせる形になっていた。

 もともと飽和していた業界に、携帯電話やADSLや光回線やポケベルといった新技術が流入し、需要が喚起されることでインフラが置き換わる過程に過ぎなかったんだよ。結局、黒電話が各家庭に普及していた率とそう変わらない結果に落ち着いてきたのは、私たちの家計が収入に見合った通信費の支出、すなわち情報を摂取するコストを調整した結果、あるべきポジションに落ち着いたに過ぎない。

 もちろん、そんなこた最初から誰もが分かっていたのだが、通信バブルとか実際に起きて、儲かりそうだという話になると、需要とか市場規模の総体とか考えずに「これはいけてる」と思って突っ込んで逝ってしまうわけだな。技術革新が行き渡って、誰でも携帯電話を持てるようになって、便利になってしまえば当たり前のようにそこに支払うコストは従前から支払っていた金額の範疇に落ち着く。

 夢も希望もない言い方だが、元からそんなもんだ。終わり終わり。