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(かに)    (まん)    ()

 蟹満寺1

京都府木津川市山城町綺田(かばた)にある

真言宗 智山派 普門山 蟹 満 寺
本尊 釈迦如来(国宝) 再建された本堂に安置
創建年 飛鳥時代 開基 伝・秦和賀
再興:正徳元年(1711) 再興:亮範

 蟹満寺2

紙幡(かばた)寺とも呼ばれる
地名 寺号の「かばた」は渡来人の養蚕の地を意味する
聖徳太子に仕えた山城国の豪族・秦河勝(はたのかわかつ)の弟・和賀(わか)の創建

 蟹満寺3

実際には蟹幡(かむはた)郷という古代の地名に由来する
創建年代は不詳だが、周辺発掘調査から
飛鳥 白鳳時代末期(680前後)創建と推定される。

 蟹満寺4
本尊 国宝銅造釈迦如来坐像は、
仏教美術史上最高傑作とされる奈良薬師寺金堂の薬師像に比肩しうる秀作
優秀な仏像ながらも由緒、伝来がはっきりしないため、
来歴の謎をめぐって長い間論争が繰り広げられてきた
平成17年の調査で、白鳳創建以来の旧仏と判明。

 蟹満寺5

正徳元年(1711)智積院の僧亮範が入寺し再興た。

 蟹満寺6

日本霊異記や今昔物語の仏教説話の「蟹の恩返し」伝承で有名。

 蟹満寺7

観音様を篤く信仰していた娘が、
村人に捕らえられていじめられていた蟹を買い取って助けた。
娘の父は大蛇に呑み込まれかけていたガマを、
娘を大蛇に嫁がせることを条件に救ってやった。

若者に姿を変えた大蛇が娘をもらいに現れると、
親子3人は雨戸を閉め切って家の中にたてこもった。
大蛇は暴れて雨戸をたたき続け、
親子は恐れおののきながらひたすら「南無観世音菩薩」と
観音経を唱え続けていたところ、観世音菩薩が姿を現し
「汝ら恐るることなかれ」と言って姿を消した。

 蟹満寺8
 
しばらくすると静かになったので、雨戸を開けて外をのぞくと
無数の蟹の死骸と切れ切れになった大蛇の死骸があった。
命の恩人の娘を救うため数万の蟹が
自らも犠牲になりながら大蛇を退治してくれたもので、
親子は蟹と大蛇の葬り、その霊を弔うためにお堂を建立し、
聖観世音菩薩像を祀った
      ・・・・・・・・のが蟹満寺の起こりとされる。

* 蟹満寺9

発掘調査によると創建当初は広大な寺域の寺院であったようであるが
現在は本堂、観音堂等を残すのみ。


 蟹満寺10

国宝の本尊・金銅製釈迦如来像は、旧山田寺(桜井市)の薬師如来仏頭、
薬師寺の薬師如来像と並ぶ白鳳時代の仏像の代表作とされている。
像高 2m67cm (八尺八寸) 
豊満で均衡のとれた重厚な姿態と
流れるような衣紋の曲線の美しさに対する評価が高い。
頭髪の螺髪(らほつ)と眉間の間の白毫(びゃくごう)がない。
造仏当初からなかったとみられ、
人間味をおびた仏像にしようとの仏師の意図があったと推測される。
両手の指の間に 水かきのような幕がある曼網相(まんもうそう)を備え
一切の衆生を もらさず救済すると言う形相。 

 2010 04 06


 蟹満寺11

 蟹満寺12

 蟹満寺13

 蟹満寺14

 蟹満寺15