渋谷のBunkamuraザ・ミュージアムで開催中の 『エリック・サティとその時代』展 を観てきました。

 
第1章 モンマルトルでの第一歩
エリック・サティ(1866年~1925年)はオンフルールに生まれ、1870年  家族と共にパリへ移り住みました。
19世紀のモンマルトルはパリの中心的歓楽街。
自由でエスプリに富んだ雰囲気のシャ・ノワール(フランス語で「黒猫」の意味のキャバレー)には画家や音楽家たちが集いました。
サティの創作活動の原点です。
サティの代表作《3つのジムノペディ》は彼が初めてシャ・ノワールを訪れた数か月後、22歳のときに作曲されました(1888年)。今、聴いています!
「ジムノペディ」(Gymnopédies)とは、古代ギリシアのアポロンやバッカスなと神々を讃える「ジムノペディア」という祭典に由来し、第1番から第3番までの3曲から成ります。
ゆったりしたテンポでBGMにぴったり。
この曲が世間で評価されるようになったのは1911年。ラヴェルによって紹介されたことがきっかけです。発表当初は受けなかったようですね。

この章では、《3つのジムノペディ》がメランコリックに流れ続け、何度も目にしたことのあるロートレックを筆頭に商業ポスターや広告、手稿が多く展示されていました。
 【左】ジュール・グリュン 《「外国人のためのモンマルトル案内」のポスター》 1900年 紙、リトグラフ モンマルトル美術館 Musée de Montmartre, Collection Société d' Histoire et d' Archéologie "Le Vieux Montmartre"

【右】アンリ・ド・トゥールーズ= ロートレック 《ディヴァン・ジャポネ》 1893年 紙、リトグラフ 川崎市市民ミュージアム


第2章 秘教的なサティ
秘教主義の思想家が主宰する薔薇十字会の聖歌隊長を任命されたサティは、1891年に「薔薇十字会のファンファーレ」を作曲します。会場内にも流れていました。

薔薇十字会は象徴主義と秘教主義を混在させた芸術運動。
当時はワーグナーの全盛時代。反ワーグナーのサティはほどなくしてこの会を去りました。
ワーグナーの劇的音楽に比べるとサティはとても軽やか。まるでステーキとサラダみたい‼どっちも食べたいですが・・・

この章では、薔薇十字展関連の作品・資料などが展示されていました。
 
カルロス・シュヴァーベ 《薔薇十字展の小さなポスター》 1892年 紙、リトグラフ フランス現代出版史資料館 Fonds Erik Satie ‒ Archives de France / Archives IMEC

この版画は、どこかで見たことがあるな~と思ったら、国立西洋美術館の収蔵作品で、今年(2015年)、「世紀末の幻想─近代フランスのリトグラフとエッチング」と題されて版画素描展示室で展示されていました(会期 2015年3月17日-2015年5月31日)。もちろん、同じものではありませんが、印象に残ったので覚えています。

 
第1回「薔薇十字」展のためのポスター(国立西洋美術館

第3章 アルクイユに移って
1898年、サティはパリ郊外のアルクイユ=カシャンへ転居。アルクイユからモンマルトルへ通いました。
この章では、エリック・サティ作曲、シャルル・マルタン挿絵の楽譜集《スポーツと気晴らし》を中心に展示されていました。
大きなソファが置かれていたので、座ってカタログを見たり・・・作品を眺めたり・・・ゆっくりできました。

第4章 モンパルナスのモダニズム
この章では、サティが関わった舞台作品に関する貴重な下絵やデッサン、ノート、書簡、公演プログラムなどが展示されています。
目を引いたのはロシア人ディアギレフが主宰するバレエ・リュスの公演《パラード》関連。
《パラード》は、ジャン・コクトーが脚本。パブロ・ピカソが衣装・舞台装飾、サティが音楽を手掛けました。
サイレン、タイプライターを打つ音、拍子木、アメリカの無声映画の影響を受けた警笛の音などを編成に加えた斬新で先駆的な音楽です。

初演は1917年。公演全体の振付をしたレオニード・マシーン自身が中国の奇術師役を演じました。
パラードの初演は賛否両論だったそうです。新しいものを求める聴衆には受け入れられましたが、批評家からは酷評されました。

会場では2007年に「ヨーロッパ・ダンス」によって再演された《パラード》のアクロバット―終幕の抜粋(約3分)の映像を見ることができました。
従来のバレエのイメージを覆す全く新しいバレエです。バレエとは別のものと捉えた方がいいのでは⁉ 好みが分かれるのも納得です。

ちなみに、《パラード》の衣装は、昨年、国立新美術館で開催された「バレエ・リュス」展に展示されていたのを見ました。
同じバレエ・リュスの《シェエラザード》の豪華な衣装とは異なり、???がいくつも付くものでした(笑)。

第5章 サティの受容
サティは1925年に亡くなりますが、彼の死後も作品は幅広い人々から評価を得て、それは現在まで続いています。
残念ながら生前のサティは、評価を受けてはいたものの貧しいままだったそうです。時代を先取りし過ぎていたのでしょうか?
この章では、マン・レイ、アンドレ・ドランによる舞台衣装のデザイン画などが展示されていました。

最後に《スポーツと気晴らし》の17分の映像コーナー。
シャルル・マルタンの挿絵が映し出され、エリック・サティの《スポーツと気晴らし》が流れ(演奏は高橋アキさん)、詩が朗読されます。
フランス語のレッスンによさそう!

作品保護のため、会場の温度は低く設定されています。希望者にはブランケットが貸し出されてました。
ゆっくり鑑賞していたので身体はすっかり冷えてしまいましたが、外に出るとムワッとした空気。
美術館は猛暑が続く都会の穴場的避暑地ですね。

サティが流れ、入場者は大人ばかり。落ち着きますねぇ~。
しかも比較的空いていて快適に観賞できますよ!

異端の作曲家『エリック・サティとその時代展』は、Bunkamuraザ・ミュージアムで8月30日(日)まで開催されます。
公式サイトはこちらです。↓
http://www.bunkamura.co.jp/museum/exhibition/15_satie/