でも戻れない自分、というか今の動けない麻痺のある自分の身体がキライなのかと言われると(さんざん付き合ってきて慣れてきたからか)キライとは言えないなーと。
ある意味他人の思い込みとか世間の偏見とか不合理を見つけやすい身体にリニューアルされた、という見方もできるんだよね。
逆にまともに動く身体だったら気づかなかった世界をたくさん見る事が知る事ができたわけだし。そういう意味では今の自分には間違いなくYesでいれる。他人はどう思うかよりまず自分だ。
自分が自分にYesを言ってあげなくて誰が言ってくれるんだ!
それは努力しないという事じゃなくて。
このできない自分すら神様は生かしてくださっているし、何かをまだ為せるから、なんだと信じて生きている。
それでも時々悲しさとか辛さに潰されそうになるんだけれど、それはたいてい過去の自分自身の延長線で物事を考えた時だ。過去の自分の延長線(と思われるもの)に戻らなければならないと考えすぎると間違ったやり方でもついつい信じてしまいそうになるから。
例えば今私は現状杖と装具を使って歩いているけれど、それを使わなくても歩けるようになれたらいいなとも思うけれど、私自身はしばらく歩きについては自主トレでしかガツガツ歩いていないから、安全にこうすればそうなれるというやり方には出会えてないし、麻痺の程度やここしばらくリハビリから離れている現状から身体がうまく対応してくれるのかは未知数だし、ちょっと間違えばケガをしたりしかねないよなーとちょっとだけ慎重です。
何度も書くけど豆腐メンタルでチキンハートだからね(笑)
今の私の状態でも私が私を認めてないうちは他人も認めないと思う。
だから今は新しい価値を作り出せる私になりたいなぁという願いの方が強い。キットパスアートで『今日はなんの日』を始めたのはそんな理由もあったりする。